九
何時
(
いつ
)
の頃であったか、多分その翌年頃の夏であったろう、その年
重
(
おも
)
にお島の手に
委
(
まか
)
されてあった、
僅
(
わずか
)
二枚ばかりの蚕が、
上蔟
(
じょうぞく
)
するに
間
(
ま
)
のない或日、養父とごたごたした
物言
(
ものいい
)
の
揚句
(
あげく
)
、養母は着物などを着替えて、ぶらりと何処かへ出ていって
了
(
しま
)
った。
養母はその時、青柳にその時々に貸した金のことについて、養父から不足を言われたのが、気に
障
(
さ
)
わったと云って、大声をたてて良人に
喰
(
く
)
ってかかった。話の調子の低いのが
天性
(
もちまえ
)
である養父は、
嵩
(
かさ
)
にかかって言募って来るおとらの為めに
遣込
(
やりこ
)
められて、
終
(
しまい
)
には
宥
(
なだ
)
めるように
辞
(
ことば
)
を和げたが、
矢張
(
やっぱり
)
いつまでもぐずぐず言っていた。
「ちっと昔しを考えて見るが
可
(
い
)
いんだ。お前さんだって好いことばかりもしていないだろう。
旧
(
もと
)
を洗ってみた日には、
余
(
あんま
)
り大きな顔をして表を歩けた義理でもないじゃないか」
養蚕室にあてた例の薄暗い八畳で、
給桑
(
きゅうそう
)
に働いていたお島は、
甲高
(
かんだか
)
なその声を洩聞くと、胸がどきりとするようであった。お島は
直
(
じき
)
に六部のことを思出さずにいられなかった。ぶすぶす言っている哀れな
養父
(
ちち
)
の声も途断れ途断れに聞えた。
青柳に貸した金の額は、お島にはよくは判らなかったが、家の普請に幾分用立てた金を初めとして、ちょいちょい持っていった金は少い額ではないらしかった。この一二年青柳の生活が、いくらか華美になって来たのが、お島にも目についた。養父の知らないような少額の金や品物が、始終養母の手から
私
(
そっ
)
と供給されていた。
お島はその年の冬の頃、一度青柳と一緒に落会った養母のお伴をしたことがあったが、十七になるお島を連出すことはおとらにも
漸
(
ようや
)
く
憚
(
はばか
)
られて来た。場所も以前のお茶屋ではなかった。
その日も養父は、使い道の
分明
(
はっきり
)
しないような金のことについて、昼頃からおとらとの間に
紛紜
(
いざこざ
)
を
惹起
(
ひきおこ
)
していた。長いあいだ不問に附して来た、青柳への貸のことが、ふとその時彼の口から言出された。そして日頃
肚
(
はら
)
に
保
(
も
)
っていた色々の場合のおとらの
挙動
(
ふるまい
)
が、ねちねちした調子で
詰
(
なじ
)
られるのであった。
結局おとらは、綺麗に財産を半分わけにして、別れようと言出した。そして良人の傍を離れると、奥の間へ入って、
暫
(
しばら
)
く
用箪笥
(
ようだんす
)
の
抽斗
(
ひきだし
)
の音などをさせていたが、それきり出ていった。
「まあ
阿母
(
おっか
)
さん、そんなに御立腹なさらないで、後生ですから家にいて下さい。阿母さんが出ていっておしまいなすったら、
私
(
わたし
)
なんざどうするんでしょう」
お島はその傍へいって、目に涙をためて哀願したが、おとらは
振顧
(
ふりむ
)
きもしなかった。
夜になってから、お島は養父に
吩咐
(
いいつ
)
かって、近所をそっち
此方
(
こっち
)
尋ねてあるいた。青柳の家へもいって見たが、見つからなかった。
おとらの
未
(
ま
)
だ帰って来ない、或日の午後、蚕に
忙
(
せわ
)
しいお島の目に、ふと庭向の
新建
(
しんだち
)
の座敷で、おとらを
生家
(
さと
)
へ出してやった留守に、何時か
為
(
し
)
たように、
夥
(
おびただ
)
しい
紙幣
(
さつ
)
を干している養父の姿を見た。八畳ばかりの風通しのいいその部屋には、紙幣の幾束が日当りへ取出されてあった。