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百十
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百十

 小野田が田舎へ立ってから間もなく、急に浜屋に逢う必要を感じて来たお島が、その男に後を頼んで、上野から山へ旅立ったのは、 初夏 ( はつなつ ) のある日の朝であった。

 病院で ( からだ ) の療治をしてからのお島は、先天的に欠陥のない自分の肉体に確信が出来たと同時に、今まで小野田から受けていた圧迫の償いをどこかに求めたい願いが、彼女の 頭脳 ( あたま ) に色々の好奇な期待と慾望とを湧かさしめた。いつからか ( おぼろ ) げに ( いだ ) いていた生理的精神的不満が、若いその職人のエロチックな話などから、一層誘発されずにはいなかった。

 そしてそれを考えるときに、彼女はその対象として、浜屋を心に描いた。

「あの人に一度逢って来よう。そして自分の疑いを ( ただ ) そう」

 お島はそれを思いたつと、一日も早くその男の傍へ行って見たかった。

 一つはそれを避けるために田舎へ帰った小野田がいなくなってからも、まだ時々 店頭 ( みせさき ) へ来て暴れたり 呶鳴 ( どな ) ったりする狂女が、 巣鴨 ( すがも ) の病院へ送込まれてから、お島はやっと思出の多いその山へ旅立つことができた。

 全く色情狂に陥ったその女は、小野田が姿を見せなくなってからは、一層心が狂っていた。そして近所の普請場から 鉋屑 ( かんなくず ) や木屑をを拾い集めて来て、お島の家の裏手から火をかけようとさえするところを、見つけられたりした。

 近所の人だちの 願出 ( ねがいいで ) によって、警察へ引張られた彼女が、 ( はり ) から逆さにつられて、目口へ水を浴せられたりするところを、お島も一度は傍で見せつけられた。

「水をかけられても、目をつぶらないところを見ると、これは ( たしか ) 狂気 ( きちがい ) です」

 責道具などの懸けられてあるその室で、お島は係の警官から、笑いながらそんな事を言われた。

「私は二三日で帰って来ますからね、留守をお頼み申しますよ」

 お島は立つ前の晩にも、その職人に好きな酒を飲ませたり、 小遣 ( こづかい ) をくれたりして頼んだ。

「多分それまでに帰ってくるようなことはないだろうと思うけれど、 偶然 ( ひょっ ) として 良人 ( うち ) が帰って来たら、 ( うま ) い工合に話しておいて下さいよ。 ( せん ) に縁づいていた人のお墓参りに行ったとそう言ってね」

 お島は顔を ( あか ) らめながら言った。

( ) ござんすとも。ゆっくり行っておいでなさいまし」

 その男はそう言って ( きよ ) く引受けたが、 胡散 ( うさん ) な目をして笑っていた。

真実 ( ほんとう ) にわたし ( ) ういう人があるんです」

 お島は ( しま ) いにそれを言出さずにはいられなかった。

「けどこれだけはあの人には秘密ですよ」