七
曲がりくねった野道を、人の影について
辿
(
たど
)
って行くと、
旋
(
やが
)
て大師道へ出て来た。お島はぞろぞろ
往来
(
ゆきき
)
している人や
俥
(
くるま
)
の群に交って歩いていったが、
本所
(
ほんじょ
)
や浅草辺の場末から出て来たらしい男女のなかには、美しく装った令嬢や、意気な
内儀
(
かみ
)
さんも
偶
(
たま
)
には目についた。
金縁
(
きんぶち
)
眼鏡をかけて、
細巻
(
ほそまき
)
を用意した男もあった。
独法師
(
ひとりぼっち
)
のお島は、草履や下駄にはねあがる
砂埃
(
すなぼこり
)
のなかを、人なつかしいような
可憐
(
いじら
)
しい心持で、ぱっぱと
蓮葉
(
はすは
)
に足を運んでいた。ほてる
脛
(
はぎ
)
に
絡
(
まつ
)
わる
長襦袢
(
ながじゅばん
)
の、ぽっとりした
膚触
(
はだざわり
)
が、気持が好かった。今別れて来た養母や青柳のことは
直
(
じき
)
に忘れていた。
大師前には、色々の店が軒を並べていた。張子の
虎
(
とら
)
や起きあがり法師を売っていたり、おこしやぶっ切り
飴
(
あめ
)
を
鬻
(
ひさ
)
いでいたりした。
蠑螺
(
さざえ
)
や
蛤
(
はまぐり
)
なども目についた。山門の上には
馬鹿囃
(
ばかばやし
)
の音が聞えて、境内にも雑多の店が居並んでいた。お島は久しく見たこともないような、かりん糖や
太白飴
(
たいはくあめ
)
の店などを
眺
(
なが
)
めながら本堂の方へあがって行ったが、
何処
(
どこ
)
も
彼処
(
かしこ
)
も在郷くさいものばかりなのを、心寂しく思った。お島は母に媚びるためにお守札や災難除のお札などを、こてこて受けることを怠らなかった。
そこを出てから、お島は野広い境内を、
其方
(
そっち
)
こっち歩いてみたが、所々に海獣の見せものや、
田舎
(
いなか
)
廻りの手品師などがいるばかりで、一緒に来た美しい人達の姿もみえなかった。お島は
隙
(
ひま
)
を
潰
(
つぶ
)
すために、若い桜の植えつけられた荒れた貧しい遊園地から、墓場までまわって見た。
田舎爺
(
いなかじじい
)
の
加持
(
かじ
)
のお水を頂いて飲んでいるところだの、
蝋燭
(
ろうそく
)
のあがった多くの大師の像のある処の前に
彳
(
たたず
)
んでみたりした。木立の中には、海軍服を着た
痩猿
(
やせざる
)
の
綱渡
(
つなわたり
)
などが、多くの人を集めていた。お島はそこにも
暫
(
しばら
)
く立とうとしたが、
焦立
(
いらだ
)
つような気分が、長く足を
止
(
とど
)
めさせなかった。
休茶屋で、ラムネに
渇
(
かわ
)
いた
咽喉
(
のど
)
や
熱
(
いき
)
る体を
癒
(
いや
)
しつつ、帰路についたのは、日がもう大分かげりかけてからであった。田圃に薄寒い風が吹いて、野末のここ彼処に、千住あたりの工場の煙が重く
棚引
(
たなび
)
いていた。疲れたお島の心は、
取留
(
とりとめ
)
のない物足りなさに
掻乱
(
かきみだ
)
されていた。
旧
(
もと
)
のお茶屋へ還って往くと、酒に
酔
(
え
)
った青柳は、取ちらかった座敷の真中に、
座蒲団
(
ざぶとん
)
を枕にして寝ていたが、おとらも赤い顔をして、
小楊枝
(
こようじ
)
を使っていた。
「まあ
可
(
よ
)
かったね。お前お
腹
(
なか
)
がすいて歩けなかったろう」おとらはお
愛相
(
あいそ
)
を言った。
「お前、お水を頂いて来たかい」
「ええ、どっさり頂いて来ました」
お島はそうした
嘘
(
うそ
)
を
吐
(
つ
)
くことに何の悲しみも感じなかった。
おとらはお島に御飯を食べさせると、脱いで傍に畳んであった羽織を自分に着たり、青柳に着せたりして、やがて其処を引揚げたが、町へ帰り着く頃には、もうすっかり日がくれて
蛙
(
かえる
)
の声が
静
(
しずか
)
な野中に聞え、人家には
灯
(
ひ
)
が
点
(
とも
)
されていた。
「みんな御苦労々々々」おとらは暗い入口から声かけながら入って行ったが、養父は裏で
連
(
しきり
)
に何か取込んでいた。