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 曲がりくねった野道を、人の影について 辿 ( たど ) って行くと、 ( やが ) て大師道へ出て来た。お島はぞろぞろ 往来 ( ゆきき ) している人や ( くるま ) の群に交って歩いていったが、 本所 ( ほんじょ ) や浅草辺の場末から出て来たらしい男女のなかには、美しく装った令嬢や、意気な 内儀 ( かみ ) さんも ( たま ) には目についた。 金縁 ( きんぶち ) 眼鏡をかけて、 細巻 ( ほそまき ) を用意した男もあった。 独法師 ( ひとりぼっち ) のお島は、草履や下駄にはねあがる 砂埃 ( すなぼこり ) のなかを、人なつかしいような 可憐 ( いじら ) しい心持で、ぱっぱと 蓮葉 ( はすは ) に足を運んでいた。ほてる ( はぎ ) ( まつ ) わる 長襦袢 ( ながじゅばん ) の、ぽっとりした 膚触 ( はだざわり ) が、気持が好かった。今別れて来た養母や青柳のことは ( じき ) に忘れていた。

 大師前には、色々の店が軒を並べていた。張子の ( とら ) や起きあがり法師を売っていたり、おこしやぶっ切り

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( あめ ) ( ひさ ) いでいたりした。 蠑螺 ( さざえ ) ( はまぐり ) なども目についた。山門の上には 馬鹿囃 ( ばかばやし ) の音が聞えて、境内にも雑多の店が居並んでいた。お島は久しく見たこともないような、かりん糖や 太白飴 ( たいはくあめ ) の店などを ( なが ) めながら本堂の方へあがって行ったが、 何処 ( どこ ) 彼処 ( かしこ ) も在郷くさいものばかりなのを、心寂しく思った。お島は母に媚びるためにお守札や災難除のお札などを、こてこて受けることを怠らなかった。

 そこを出てから、お島は野広い境内を、 其方 ( そっち ) こっち歩いてみたが、所々に海獣の見せものや、 田舎 ( いなか ) 廻りの手品師などがいるばかりで、一緒に来た美しい人達の姿もみえなかった。お島は ( ひま ) ( つぶ ) すために、若い桜の植えつけられた荒れた貧しい遊園地から、墓場までまわって見た。 田舎爺 ( いなかじじい ) 加持 ( かじ ) のお水を頂いて飲んでいるところだの、 蝋燭 ( ろうそく ) のあがった多くの大師の像のある処の前に ( たたず ) んでみたりした。木立の中には、海軍服を着た 痩猿 ( やせざる ) 綱渡 ( つなわたり ) などが、多くの人を集めていた。お島はそこにも ( しばら ) く立とうとしたが、 焦立 ( いらだ ) つような気分が、長く足を ( とど ) めさせなかった。

 休茶屋で、ラムネに ( かわ ) いた 咽喉 ( のど ) ( いき ) る体を ( いや ) しつつ、帰路についたのは、日がもう大分かげりかけてからであった。田圃に薄寒い風が吹いて、野末のここ彼処に、千住あたりの工場の煙が重く 棚引 ( たなび ) いていた。疲れたお島の心は、 取留 ( とりとめ ) のない物足りなさに 掻乱 ( かきみだ ) されていた。

  ( もと ) のお茶屋へ還って往くと、酒に ( ) った青柳は、取ちらかった座敷の真中に、 座蒲団 ( ざぶとん ) を枕にして寝ていたが、おとらも赤い顔をして、 小楊枝 ( こようじ ) を使っていた。

「まあ ( ) かったね。お前お ( なか ) がすいて歩けなかったろう」おとらはお 愛相 ( あいそ ) を言った。

「お前、お水を頂いて来たかい」

「ええ、どっさり頂いて来ました」

 お島はそうした ( うそ ) ( ) くことに何の悲しみも感じなかった。

 おとらはお島に御飯を食べさせると、脱いで傍に畳んであった羽織を自分に着たり、青柳に着せたりして、やがて其処を引揚げたが、町へ帰り着く頃には、もうすっかり日がくれて ( かえる ) の声が ( しずか ) な野中に聞え、人家には ( ) ( とも ) されていた。

「みんな御苦労々々々」おとらは暗い入口から声かけながら入って行ったが、養父は裏で ( しきり ) に何か取込んでいた。