百五
忙
(
いそが
)
しいその一冬を自転車に乗づめで、
閑
(
ひま
)
な二月が来たとき、お島は時々疑問にしていながら、診てもらうのを
厭
(
いや
)
がっていた、自分の体をふとした機会から、病院で医者に診せた。
「......毛がすっかり擦切れてしまったところを見ると、
余程
(
よっぽど
)
毒なもんですね」
お島はそう言って、そこを小野田に見せたりなどしていたが、それはそれで
真
(
ほん
)
の外面の傷害に過ぎないらしかった。
その病院では、お島の親しい歯科医の細君が、腹部の切開で入院していた。そこへお島は時々見舞に行った。
そんなところへも自分の商売を広告するつもりで、看護婦や下足番などへの心づけに、
切放
(
きれはな
)
れの好いお島は、直に彼等とも友達になったが、一二度体を診てもらううちに、親しい口を
利
(
き
)
きあう若い医師が、二人も三人もできた。
段々
肥立
(
ひだ
)
って来た、
売色
(
くろうと
)
あがりの細君の傍で、お島は持って行った花を
花瓶
(
かびん
)
に
挿
(
さ
)
したり、薄くなった
頭髪
(
あたま
)
に
櫛
(
くし
)
を入れて、
束
(
つく
)
ねてやったりして、半日も話相手になっていた。
「どう云うんでしょう、私の体は......」
お島は看護婦などのいる傍で、いつかも印判屋の上さんに
訊
(
たず
)
ねたと同じことを言出した。
「夫婦の
交際
(
まじわり
)
なんてものは、私にはただ苦しいばかりです。何の意味もありません」
「それは
貴女
(
あなた
)
がどうかしてるのよ」
患者は日ましに血色のよくなって来た顔に、血の気のさしたような美しい笑顔を向けて、お島の顔を眺めた。
「でも
可笑
(
おかし
)
いんですの。こんなことを言うのは、自分の恥を
曝
(
さら
)
すようなもんですけれど、実際あの人が変なんです」
お島は紅い顔をして言った。
「ええ、そんな人も千人に一人はありますね」
お島が診てもらった医者に、それを言出すほど気がおけなくなったとき、彼はそう言って笑っていた。
位置が少し変っているといわれた自分の体を、お島はそれまでに、もう
幾度
(
いくたび
)
も療治をしてもらいに通ったのであった。
「当分自転車をおやめなさい。圧迫するといけない」
お島は苦しい療治にかかった最初の日から、そう言われて毎日和服で
外出
(
そとで
)
をしていた。
長いお島の病院がよいの間、小野田が、多く外まわりに自転車で乗出した。
顧客
(
とくい
)
先で、小野田が知合になった
生花
(
はな
)
の先生が
出入
(
ではい
)
りしたり、蓄音器を買込んだりするほど、その頃景気づいて来ていた店の経済が、暗いお島などの
頭脳
(
あたま
)
では、ちょと考えられないほど、貸や借の
紛紜
(
こぐらかり
)
が複雑になっていたが、それはそれとして、
身装
(
みなり
)
などのめっきり
華美
(
はで
)
になった彼女は、その日その日の明い気持で、生活の新しい幸福を予期しながら、病院の門を
潜
(
くぐ
)
った。