八十六
住居の手狭なここへ引移ってから、初めて
世帯
(
しょたい
)
を持った新夫婦か何ぞのように、二人は夕方になると、忙しいなかをよく外を出歩いた。
川西を出たときから、新しい愛執が盛返されて来たようなお島たちはそれでもその月は可也にあった収入で、
涼気
(
すずけ
)
の立ちはじめた時候に相応した新調の着物を着たり着せたりして、打連れて陽気な
人寄場
(
ひとよせば
)
などへ入って行った。
行く先々で、その時はまるで荷厄介のように思って、惜げもなく知った人にくれたり、
棄値
(
すてね
)
で売ったり又は
著崩
(
きくず
)
したりして、何一つ身につくもののなかったお島は、少しばかり
纏
(
まと
)
まった収入の当がつくと、それを見越して、月島にいる頃から知っていた呉服屋で、小野田が目をまわすような派手なものを取って来て、それを自分に仕立てて、男をも着飾らせ、自分にも着けたりした。
「己たちはまだ着物なんてとこへは、手がとどきやしないよ。成算なしに着物を作って、困るのは知れきっているじゃないか」
着ものなどに
頓着
(
とんじゃく
)
しない小野田は、お島の帰りでもおそいと、時々近所のビーヤホールなどへ入って、蓄音機を聴きながら、そこの女たちを相手に酒を飲んでいては、お島に喰ってかかられたりしたが、やっぱり自分の立てた成算を
打壊
(
ぶちこわ
)
されながら、その時々の気分を欺かれて行くようなことが多かった。
「あの
御父
(
おとっ
)
さんの産んだ子だと思うと、厭になってしまう。東京へでも出ていなかったら、
貴方
(
あんた
)
もやっぱりあんなでしょうか」
お島はにやにやしている小野田の顔を眺めながら笑った。
「
莫迦
(
ばか
)
言え」小野田はその頃延しはじめた濃い
髭
(
ひげ
)
を引張っていた。
「だからビーヤホールの女なぞにふざけていないで、少しきちんとして立派にして下さいよ。あんなものを相手にする人、私は大嫌い、
人品
(
じんぴん
)
が下りますよ」
お島はどうかすると、父親の
面差
(
おもざし
)
の、どこかに想像できるような小野田の或卑しげな表情を、
強
(
し
)
いて
排退
(
はねの
)
けるようにして言った。小野田が物を食べる時の様子や、笑うときの
顔容
(
かおつき
)
などが、
殊
(
こと
)
にそうであった。
「子が親に似るのに不思議はないじゃないか。己は
間男
(
まおとこ
)
の子じゃないからな」
小野田は心から厭そうにお島にそれを言出されると、苦笑しながら
慍然
(
むっ
)
として言った。
「間男の子でも何でも、あんな御父さんなんかに
肖
(
に
)
ない方が
可
(
い
)
いんですよ」
「ひどいことを言うなよ。あれでも己を産んでくれた親だ」
小野田は
終
(
しまい
)
に怒りだした。
「お前さんはそれでも感心だよ。あんな親でも大事にする気があるから。私なら親とも思やしない」