五十
旦那を
鉱山
(
やま
)
へ還してから、女が一里半程の道を
俥
(
くるま
)
に乗って、壮太郎のところへ
遣
(
や
)
って来るのは、大抵月曜日の午前であった。
家が近所にあったところから、
幼
(
ちいさ
)
いおりの
馴染
(
なじみ
)
であった、おかなと云うその女が、まだ東京で商売に出ている時分、兄は女の名前を腕に
鏤
(
えり
)
つけなどして、嬉しがっていた。そして女の跡を追うて、
此処
(
ここ
)
へ来た頃には、
上
(
かみ
)
さんまで
実家
(
さと
)
へ返して、父親からは準禁治産の形ですっかり
見限
(
みきり
)
をつけられていた。
日本橋辺にいたことのあるおかなは、
痩
(
やせ
)
ぎすな
躯
(
がら
)
の
小
(
ちいさ
)
い女であったが、東京では立行かなくなって、T――町へ来てからは、体も芸も一層
荒
(
すさ
)
んでいた。土地びいきの多い人達のなかでは、勝手が違って勤めにくかったが、
鉱山
(
やま
)
から来る連中には可也に
持囃
(
もてはや
)
された。
おかなは朝来ると、晩方には大抵帰って行ったが、旦那が東京へ
用達
(
ようたし
)
などに出るおりには、二晩も三晩も帰らないことがあった。二里ほど奥にある、山間の温泉場へ、呼出をかけられて、壮太郎が出向いて行くこともあった。
おかなは
素人
(
しろうと
)
くさい風をして、
山焦
(
やまやけ
)
のした顔に白粉も塗らず、ぼくぼくした下駄をはいて遣って来たが、お島には土地の名物だといって固い
羊羹
(
ようかん
)
などを持って来た。
女のいる間、お島は家を出て、精米所へ行ったり、浜屋で遊んでいたりした。
精米所では、東京風の
品
(
ひん
)
のいい
上
(
かみ
)
さんが、家に
引込
(
ひっこみ
)
きりで、浜屋の
後家
(
ごけ
)
に産れた主人の男の子と、自分に産れた二人の女の子供の世話をしていた。
「浜屋のおばさんの
処
(
とこ
)
へいきましょうね」
お島は近所の子供たちと、例の公園に遊んでいるその男の子の、綺麗な顔を眺めながら言ってみた。
「あ」と、子供は
頷
(
うなず
)
いた。
「
阿母
(
おっか
)
さんとおばさんと、
孰
(
どっち
)
が好き?」お島は言ってみたが、子供には何の感じもないらしかった。
お島はベンチに腰かけて、
慵
(
だる
)
い時のたつのを待っていた。庭の運動場の
周
(
まわり
)
に
植
(
うわ
)
った桜の葉が、もう大半
黄
(
きば
)
み枯れて、秋らしい雲が遠くの空に動いていた。お島は時々
炉端
(
ろばた
)
で差向いになることのある、浜屋の若い主人のことなどを思っていた。T――市から来ていた、その主人の嫁が、肺病のために長いあいだ
生家
(
さと
)
へ帰されていた。