八十七
そんな気持の
嵩
(
こう
)
じて来たお島には、自分一人がどんなに
焦燥
(
やきもき
)
しても、出世する運が全く小野田にはないようにさえ考えられてきた。彼の顔が
無下
(
むげ
)
に卑しく貧相に見えだして来た。ビーヤホールの女などと、面白そうにふざけていることの出来る男の品性が、
陋
(
さも
)
しく
浅猿
(
あさま
)
しいもののように思えた。
「己はまた親の
悪口
(
あっこう
)
なぞ云う女は大嫌いだ」
顔色を変えて、お島の側を離れると、小野田は黙って仕事に取りかかろうとして、電気を引張って行ってミシンを踏みはじめた。
そのミシンは、支払うべき金がなかったために、お島が機転を
利
(
き
)
かして、機械の工合がわるいと言って、新しく取替えたばかりの
代物
(
しろもの
)
であった。そうすれば試用の間、一時また支払いが猶予される訳であった。
「こんな
際
(
きわ
)
どいことでもしなかった日には、私たちはとてもやって行けやしません。成功するには、どうしたってヤマを張る必要があります」
お島はその時もそう言って、自分の気働きを
矜
(
ほこ
)
ったが、何の気もなさそうに、それに腰かけている小野田の様子が、間抜らしく見えた。
がたがたと動いていたミシンの音が止ると、彼は
裁板
(
たちいた
)
の前に坐って、縫目を
熨
(
の
)
すためにアイロンを使いはじめた。
「ふむ、莫迦だね」
お島は無性に腹立しいような気がして、腕を組みながら
溜息
(
ためいき
)
を
吐
(
つ
)
いた。
「一生職人で終る人間だね。それでも田を踏んで暮す親よりかいくらか
優
(
まし
)
だろう」
「生意気を言うな。手前の親がどれだけ立派なものだ。やっぱり
土弄
(
つちいじ
)
りをして暮しているじゃないか」
「ふむ、誰がその親のところへ、籍を入れてくれろと頼みに行ったんだ。私の親父はああ見えても産れが好いんです。昔はお庄屋さまで威張っていたんだから。それだって私は親のことなんか口へ出したことはありゃしない」
「お前がまた親不孝だから、親が寄せつけないんだ。そう威張ってばかりいても
得
(
とく
)
は取れない。ちっとはお辞儀をして、金を引出す算段でもした方が、
※
(
はるか
)
に
悧巧
(
りこう
)
なんだ」
小野田はいつもお島に勧めているようなことを、また言出した。
「意気地のないことを言っておくれでないよ。私は通りへ店を持つまでは、親の家へなんか死んでも寄りつかない
意
(
つもり
)
だからね」
「だから、お前は商売気がなくて駄目だというのだよ」
仕事が一と片着け片着く時分に、二人はまたこんな相談に
耽
(
ふけ
)
りはじめた。