十九
お島は或時は、それとなく自分に適当した職業を捜そうと思って、人にも聞いてみたり、自分にも市中を
彷徨
(
ぶらつ
)
いてみたりしたが、自分の智識が許しそうな仕事で、一生懸命になり得るような職業はどこにも見当らなかった。坐って事務を取るようなところは、
碌々
(
ろくろく
)
小学校すら卒業していない彼女の学力が不足であった。
お島は時とすると、口入屋の
暖簾
(
のれん
)
をくぐろうかと考えて、その前を往ったり来たりしたが、そこに田舎の
駈出
(
かけだ
)
しらしい女の無智な表情をした顔だの、みすぼらしい
蝙蝠
(
こうもり
)
や包みやレーザの畳のついた下駄などが目につくと、もう厭になって、その仲間に
成下
(
なりさが
)
ってまでゆこうと云う勇気は出なかった。
お島は日がくれても家へ帰ろうともしず、上野の山などに
独
(
ひとり
)
でぼんやり時間を消すようなことが多かった。山の下の多くの飲食店や、
商家
(
あきないや
)
には
灯
(
ひ
)
が青黄色い柳の色と一つに流れて、そこを動いている電車や群衆の影が、夢のように動いていた。お島はそんな時、恩人の
子息
(
むすこ
)
で、今アメリカの方へ行っているという男のことなどを
憶出
(
おもいだ
)
していた。そして旅費さえ
偸
(
ぬす
)
み出すことができれば、何時でもその男を頼って、外国へ渡って行けそうな気さえするのであった。
「ここまで
漕
(
こ
)
ぎつけて、今一ト息と云うところで、あの財産を
放抛
(
うっちゃ
)
って出るなんて、そんな奴があるものか」
お島がその希望をほのめかすと、西田の老人は頭からそれを排斥した。この老人の話によると、養家の財産は、お島などの不断考えているよりは、
※
(
はるか
)
に大きいものであった。動産不動産を合せて、十万より
凹
(
へこ
)
むことはなかろうと云うのであった。床下の
弗函
(
ドルばこ
)
に
収
(
しま
)
ってあると云う有金だけでも、少い額ではなかろうと云うのであった。その中には幾分例の小判もあろうという推測も、
強
(
あなが
)
ち
嘘
(
うそ
)
ではなかろうと思われた。
小
(
こまか
)
い子供を多勢持っているこのお爺さんも、
旧
(
もと
)
は
矢張
(
やっぱり
)
お島の養父から、資金の融通を仰いだ仲間の
一人
(
いちにん
)
であった。今でも未償却のままになっている額が、少くなかった。老人は、何をおいても
先
(
まず
)
、慾を知らなければ一生の損だということをお島にくどくど
言聴
(
いいきか
)
した。
お島はそれでその時はまた自分の家の
閾
(
しきい
)
を
跨
(
また
)
ぐ気になるのであったが、この老人や青柳などの
口利
(
くちきき
)
で、婿が作以外の人に決めらるるまでは、動きやすい心が、
動
(
と
)
もすると家を離れていこうとした。