五十一
お島が
楽
(
たのし
)
みにして世話をしていた植木畠や
花圃
(
はなばた
)
の床に、霜が段々
滋
(
しげ
)
くなって、
吹曝
(
ふきさら
)
しの一軒家の軒や羽目板に、或時は寒い
山颪
(
やまおろし
)
が、
凄
(
すさま
)
じく木葉を吹きつける冬が町を見舞う頃になると、商売の方がすっかり
閑
(
ひま
)
になって来た壮太郎は、また
市
(
まち
)
の方へ出て行って、遊人仲間の群へ入って、勝負事に頭を浸している日が多かった。
持って行った植木の或者は、土が
適
(
ふさ
)
わぬところから、お島が
如何
(
いか
)
に丹精しても、買手のつかぬうちに、立枯になるようなものが多かったが、草花の方も美事に見込がはずれて、
種子
(
たね
)
が思ったほどに
捌
(
さば
)
けぬばかりでなく、
花圃
(
はなばたけ
)
に
蒔
(
ま
)
かれたものも発芽や発育が充分でなかった。壮太郎はそれに気を腐らして、この一冬をどうしてお島と二人で、この町に
立籠
(
たてこも
)
ろうかと思いわずろうた。
山にはもう雪が来ていた。鉱山の方へ搬ばれてゆく、
味噌
(
みそ
)
や
醤油
(
しょうゆ
)
などを荷造した荷馬が、町に幾頭となく
立駢
(
たちなら
)
んで、
時雨
(
しぐれ
)
のふる中を、尾をたれて白い息を吹いているような朝が幾日となく続いた。
小春日和
(
こはるびより
)
の日などには、お島がよく出て見た松並木の往還にある
木挽小舎
(
こびきごや
)
の男達の姿も、いつか見えなくなって、そこから小川を一つ隔てた
田圃
(
たんぼ
)
なかにある
遊廓
(
ゆうかく
)
の白いペンキ塗の二階や三階の建物を取捲いていた林の
木葉
(
このは
)
も、すっかり落尽くしてしまった。
それでも浜屋の奥座敷だけには、裏町にある芸者屋から、時々
裾
(
すそ
)
をからげて出てゆく箱屋や芸者の姿が見られて、どこからともなく飲みに来る客が絶えなかった。お島は町を通るごとに目についていた、通りの飲食店や、町がさびれてから、どこも
達磨
(
だるま
)
をおくようになったと云う旅籠屋などに、働きに入ろうかとさえ思ってみることもあったが、それらのお客が
皆
(
みん
)
な近在の百姓や、
繭買
(
まゆかい
)
などの
小商人
(
こあきゅうど
)
であることを想ってみるだけでも、
身顫
(
みぶるい
)
が出るほど厭であった。
裸になって
市
(
まち
)
から帰って来ると、兄はよくお島のものを持出して、顔を知っている質屋の門などを
潜
(
くぐ
)
ったが、それも
種子
(
たね
)
が尽きて来ると、矢張女のところへ
強請
(
せび
)
りに行くより外なかった。
その使に、お島も時々遣られた。峠の
幾箇
(
いくつ
)
もある寂しい山道を、お島は独りでてくてく歩いて行った。どこへ行っても人家があった。休み茶屋や居酒屋もあった。女の囲われている町では、
馬蹄
(
ばてい
)
や農具を
拵
(
こしら
)
えている
鍛冶屋
(
かじや
)
が
殊
(
こと
)
に多かった。
「おかなさんが、こんな処によくいられたもんだ」お島は不思議に思ったが、それでも女のいるところは、
小瀟洒
(
こざっぱり
)
した格子造の家であった。家のなかには、東京風の
箪笥
(
たんす
)
や長火鉢もきちんとしていた。