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四十六

  情婦 ( おんな ) の流れて行っている、或山国の町の一つで、 ( しばら ) く漂浪の生活を続けている兄の 壮太郎 ( そうたろう ) が、 其処 ( そこ ) で商売に着手していた品物の仕入かたがた、仕事の 手助 ( てだすけ ) にお島をつれに来たのはその夏の末であった。

「阿母さんは、一体いつまで私を 彼処 ( あすこ ) で働かしておくつもりだろう」

 植源の忙しい働き仕事や、絶え間のないそこの ( うち ) のなかの 紛紜 ( いざこざ ) に飽はてて来たお島は、息をぬきに家へやって来ると父親に ( こぼ ) した。

 長いあいだ家へ寄つきもしない壮太郎の代りに、家に居坐らせるため、植源を出て来て、父の手助に働かせられていたお島は、兄に ( とき ) つけられて、その時ふいと旅に出る気になったのであった。

「誰が来たって駄目だ。お前ならきっと辛抱ができる」

 お島に家へ坐られることが不安であったと同時に、田舎で ( やり ) かけようとしている仕事と、そこで人に囲われている女とから離れることの出来なかった兄の壮太郎は、そう言って話に 乗易 ( のりやす ) いお島を ( そそのか ) した。

 田舎の植木屋仲間に売るような色々の植木と、西洋草花の 種子 ( たね ) などを、どっさり仕込んで、それを汽車に積んで、兄はしばらく住なれたその町の方へ出かけていった。一緒に乗込んだお島の心には、まだ見たことのない田舎の町のさまが色々に想像されたが、これまで何処へ行っても頭を抑えられていたような冷酷な生母、 因業 ( いんごう ) な養父母、植源の隠居、それらの人達から離れて暮せるということを考えるだけでも、手足が急に自由になったような安易を感じた。

「みっちり働いて、お金を ( もう ) けて帰ろう」お島はそう思うと、何もかも自分を歓迎するための手をひろげて待っているような気がした。

  ( くろず ) んだ土や、 蒼々 ( あおあお ) した水や広々した雑木林――関東平野を北へ北へと ( よこぎ ) って行く汽車が、山へさしかかるに連れて、お島の心には、旅の哀愁が少しずつ ( しみ ) ひろがって来た。

矢張 ( やっぱり ) こんなような町?」お島は汽車が 可也 ( かなり ) 大きなある停車場へ乗込んだとき、窓から顔を出して、壮太郎にささやいた。

 停車場には、日光帰りとみえる、 紅色 ( べにいろ ) をした西洋人の姿などが見えた。

「とてもこんな大きなんじゃない」壮太郎は、長く沁込んだその町の内部の生活を 憶出 ( おもいだ ) していると云う顔をして笑った。その土地では、壮太郎はもう可也色々の人を知っていた。

「どこを見ても山だからね。でも住なれてみると、また面白いこともあるのさ」

 汽車は段々山国へ入っていった。深い 谿 ( たに ) や、遠い ( はざま ) が、山国らしい木立の 隙間 ( すきま ) や、風にふるえている ( こずえ ) の上から望み見られた。客車のなかは一様に 闃寂 ( ひっそり ) していた。