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 お島が作を一層嫌って、 侮蔑 ( ぶべつ ) するようになったのもその頃からであった。

 蒸暑い夏の或真夜中に、お島はそこらを 開放 ( あけはな ) して、 蚊帳 ( かや ) のなかで寝苦しい体を 持余 ( もてあま ) していたことがあった。 ( ) っぱいような蚊の 唸声 ( うなりごえ ) 夢現 ( ゆめうつつ ) のような彼女のいらいらしい心を 責苛 ( せめさいな ) むように耳についた。その時ふとお島の目を ( おびや ) かしたのは、蚊帳のそとから ( のぞ ) いている作の蒼白い顔であった。

莫迦 ( ばか ) 阿母 ( おっか ) さんに 言告 ( いいつ ) けてやるぞ」

 お島は高い調子に叫んだ。それで作はのそのそと出ていったが、それまで何の気もなしに見ていたそれと同じような作の挙動が、その時お島の心に一々意味をもって来た。お島は劇しい侮蔑を感じた。或時は野良仕事をしている時につけ廻されたり、或時は湯殿にいる自分の体に見入っている彼の姿を見つけたりした。

 お島はそれ以来、作の顔を見るのも胸が悪かった。そして養父から、善く働く作を自分の婿に ( えら ) ぼうとしているらしい 意嚮 ( いこう ) ( もら ) されたときに、彼女は体が ( すく ) むほど ( いや ) な気持がした。しかし養父のその考えが、段々 分明 ( はっきり ) して来たとき、お島の心は、 ( おのずか ) ら生みの親の家の方へ ( ) いていった。

「何しろ作は ( おれ ) の血筋のものだから、同じ ( つが ) せるなら、あれに後を取らせた方が道だ」

 養父は時おり妻のおとらと、その事を相談しているらしかったが、お島はふとそれを立聞したりなどすると、堪えがたい圧迫を感じた。 我儘 ( わがまま ) な反抗心が心に 湧返 ( わきかえ ) って来た。

 作の自分を見る目が、段々親しみを加えて来た。彼は出来るだけ 打釈 ( うちと ) けた態度で、お島に近づこうとした。畑で桑など ( ) んでいると、彼はどんな遠いところで、 ( せわ ) しい用事に働いている時でも、彼女を見廻ることを忘れなかった。彼はその頃から、働くことが面白そうであった。叔父夫婦にも従順であった。お島は一層それが不快であった。

 おとらが 内々 ( ないない ) お島の婿にしようと企てているらしい或若い男の兄が、その頃おとらのところへ 入浸 ( いりびた ) っていた。青柳と云うその男は、その町の開業医として 可也 ( かなり ) に顔が売れていたが、或私立学校を卒業したというその弟をも、お島はちょいちょい見かけて知っていた。

  気爽 ( きさく ) で酒のお酌などの巧いおとらは、夫の留守などに訪ねてくる青柳を、よく奥へ通して 銚子 ( ちょうし ) のお ( かん ) をしたりしているのを、お島は時々見かけた。一日かかって四十 ( ) ( かぞ ) ( ) くのは、普通 一人前 ( いちにんまえ ) の極度の仕事であったが、おとらは働くとなると、それを八十把も漉くほどの働きものであった。そして人のいい夫を 其方退 ( そっちの ) けにして、傭い人を見張ったり、金の 貸出方 ( かしだしかた ) 取立方 ( とりたてかた ) に抜目のない 頭脳 ( あたま ) を働かしていたが、青柳の顔が見えると、どんな時でも彼女の様子がそわそわしずにはいなかった。

 お島の目にも、 愛相 ( あいそ ) のいい青柳の人柄は好ましく思えた。彼は青柳から始終お島坊お島坊と呼びなずけられて来た。最近青柳がいつか養父から借りて、新座敷の造営に ( つか ) った金高は、少い額ではなかった。