九十九
本郷の通りの方で、第四番目にお島たちが取着いて行った家を、すっかり手を入れて、洋風の
可也
(
かなり
)
な店つきにすると同時に、
棚
(
たな
)
に羅紗などを積むことができたのは、それから二三年もたって、店の名が相応に人に知られてからであったが、最初二人がそこへ引移っていった時には、店へ飾るものといっては何一つなかった。
愛宕
(
あたご
)
時代に
傭
(
やと
)
ったのとは、また別の方面から、お島が大工などを頼んで来たとき、二人の
懐
(
ふとこ
)
ろには、店を板敷にしたり、棚を張ったりするために必要な板一枚買うだけの金すらなかったのであったが、新しいものを築き
創
(
はじ
)
めるのに多分の興味と
刺戟
(
しげき
)
とを感ずる彼女は、
際
(
きわ
)
どいところで、思いもかけない生活の弾力性を
喚起
(
よびおこ
)
されたりした。
「面倒ですから、材料も
私
(
あっし
)
の方から運びましょうか」
父親の縁故から知っている或
叩
(
たた
)
き大工のあることを想出して、そこへ
駈
(
かけ
)
つけていった彼女は、仕事を拡張する意味で普請を
嘱
(
たの
)
んだところで、彼は呑込顔にそう言って引受けた。
「そうしてもらいましょうよ。私達は材料を
詮議
(
せんぎ
)
している
隙
(
ひま
)
なんかないんだから」
材木がやがて彼等の手によって、車で運びこまれた。
「どうです、訳あないじゃありませんか」
大工が仕事を初めたところで、
釘
(
くぎ
)
をすら買うべき小銭に事かいていたお島は、また近所の金物屋から、それを取寄せる
智慧
(
ちえ
)
を欠かなかった。
「これから普請の出来あがるまで、何かまたちょいちょい
貰
(
もら
)
いに来るのに、一々お金を出すのも面倒ですから、お帳面にしておいて下さいよ。少しばかりお手つけをおいてきましょう」
お島は夜を待つまもなく、小僧の順吉に
脊負
(
しょ
)
いださせた
蒲団
(
ふとん
)
に替えた、
少
(
すこし
)
ばかりの金のうちから、いくらか取出してそれを渡した。その蒲団は、彼女が鶴さん時代から持古している銘仙ものの
代物
(
しろもの
)
であった。
「乗るか
反
(
そ
)
るか、お上さんはここで最後の運を試すんだよ」
萌黄
(
もえぎ
)
の風呂敷に
裹
(
つつ
)
んだその蒲団を脊負いださせるとき、お島は
気嵩
(
きがさ
)
な調子で、その時までついて来た順吉を
励
(
はげま
)
した。
「お前もその
意
(
つもり
)
でやっておくれ。この恩はお上さん一生忘れないよ」
涙含
(
なみだぐ
)
んだような顔をして、それを脊負って行く順吉のいじらしい後姿を見送っているお島の目には、涙が
入染
(
にじ
)
んで来た。
「どうでしょう。職人は
小
(
ちいさ
)
い時分から手なずけなくちゃ駄目だね。順吉だけは、どうか
渡職人
(
わたりじょくにん
)
の
風
(
ふう
)
に
染
(
し
)
ましたくないもんだ。それだけでも私たちは
茫然
(
ぼんやり
)
しちゃいられない」
お島は大工の仕事を見ている、小野田の傍へ来て
呟
(
つぶや
)
いた。
表では大工が、二人ばかりの下を使って、せっせっと
木拵
(
きごしら
)
えに働いていた。