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四十一

 一つは人に ( ) びるため、働かずにはいられないように癖つけられて来たお島は、一年 ( たらず ) の鶴さんとの夫婦暮しに ( ) めさせられた、甘いとも ( にが ) いとも解らないような苦しい生活の 紛紜 ( いざこざ ) から ( のが ) れて、 何処 ( どこ ) まで ( はず ) むか知れないような体を、ここでまた荒い仕事に働かせることのできるのが、 ( むし ) ろその日その日の幸福であるらしく見えた。

 植源の庭には、大きな 水甕 ( みずがめ ) が三つもあった。お島は男の手の足りないおりおりには、その一つ一つに、水を 盈々 ( なみなみ ) 汲込まなければならなかった。そしてそれを沢山の 花圃 ( はなばたけ ) や植木に ( そそ ) がなければならなかった。その頃かかっていた病身な出戻りの姉娘の連れていた二人の子供の世話も、朝晩に為なければならなかった。田舎で鉄道の方に勤めていた官吏の ( もと ) へ片づいていたその姉は、以前この家に間借をしていたことのあるその良人が、田舎へ転任してから、七年目の 今茲 ( ことし ) の夏、 ( にわか ) に病死してしまった。

 東北 ( なまり ) のその子供は、おゆうには二人とも嫌われたが、お島には能く ( なつ ) いた。お島は暇さえあると、髪を結ったり、リボンをかけてやったり、 寝起 ( ねおき ) や入浴や食事の世話に骨惜みをしなかった。

 嫁にやられるとき、拵えて行ったものなどを 不残 ( そっくり ) ( ) くして、旅費と当分の小遣にも足りぬくらいの金を、 ( すこし ) ばかりの家財を売払って持って来た姉は、まだ乳離れのせぬ ( ちいさ ) い方の男の子を ( ひざ ) にのせて、時々縁側の 日南 ( ひなた ) に坐りながら、ぼんやりお島の働きぶりを眺めていた。

( ) くそんなに体が動いたもんだわね」

 姉は感心したように ( ことば ) をかけた。お島は ( たすき ) がけの 素跣足 ( すはだし ) で、 手水鉢 ( ちょうずばち ) の水を取かえながら、鉢前の小石を一つ一つ 綺麗 ( きれい ) に洗っていた。夏中縁先に張出されてあった 葭簀 ( よしず ) 日覆 ( ひおい ) ( ) れて、まだ暑苦しいような日の差込む時が、二三日も続いた。

「ええ、子供の時分から慣れっこになっていますから」お島は笑いながら ( こた ) えた。

「子供を産んだ人とは思われないくらいですよ」

「だって ( ようよ ) 七月 ( ななつき ) ですもの。私顔も見ませんでしたよ。 淡白 ( さっぱり ) したもんです」

「それにしたって、旦那のことは忘れられないでしょう」

「そうですね。がさがさしてる癖に、 ( あんま ) り好い気持はしませんね」

矢張 ( やっぱり ) ( ) れていたんだわね」

「そうかも知れませんよ」お島は顔を ( あから ) めて、

「私が暴れて 打壊 ( ぶちこわ ) したようなもんですの。あの人はまたどうして、あんなに気が多いでしょう。 ( ちょ ) いと何かいわれると、もう好い気になって一人で騒いでいるんですもの。その癖 嫉妬 ( やきもち ) やきなんですがね」

「でも能く思切って ( しま ) ったわね」

「芸者や女郎じゃあるまいし、いつまで、くよくよしていたって為方がないですもの。私はあんなへなへなした男は大嫌いですよ」

「それもそうね。――私も思切って、どこか働きに行きましょうかしら」

「御 笑談 ( じょうだん ) でしょう。そんな可愛い坊ちゃんをおいて、何処へ行けるもんですか」