十二
近所でも知らないような、作とお島との
婚礼談
(
こんれいばなし
)
が、遠方の取引先などで、
意
(
おも
)
いがけなくお島の耳へ入ったりしてから、お島は一層
分明
(
はっきり
)
自分の
惨
(
みじめ
)
な今の身のうえを見せつけられるような気がして、腹立しかった。そしてその事を吹聴してあるくらしい、作の顔が一層間ぬけてみえ、厭らしく思えた。
「まだ帰らねえかい」そう言って、小さい時分から学校へ迎えに来た作は、昔も今も同じような顔をしていた。
「外に待っておいで」お島はよく
叱
(
しか
)
りつけるように言って、入り口の外に待たしておいたものだが、今でも
矢張
(
やっぱり
)
、下駄に手をふれられても身ぶるいがするほど厭であった。
婚礼
談
(
ばなし
)
が出るようになってから、作は懲りずまに善くお島の傍へ寄って来た。
余所行
(
よそゆき
)
の化粧をしているとき、彼は横へ来てにこにこしながら、横顔を眺めていた。
「あっちへ行っておいで」お島はのしかかるような
疳癪声
(
かんしゃくごえ
)
を出して
逐退
(
おいしりぞ
)
けた。
「そんなに嫌わんでも
可
(
い
)
いよ」作はのそのそ出ていった。
作の来るのを防ぐために、お島は夜自分の部屋の
襖
(
ふすま
)
に
心張棒
(
しんばりぼう
)
を
突支
(
つっか
)
えておいたりしなければならなかった。
「厭だ厭だ、私死んでも作なんどと一緒になるのは厭です」お島は作のいる前ですら、始終母親にそう言って、剛情を張通して来た。
「作さんが到頭お島さんのお婿さんに決ったそうじゃないか」
お島は仕切を取りに行く先々で、
揶揄
(
からか
)
い
面
(
づら
)
で
訊
(
き
)
かれた。足まめで、口のてきぱきしたお島は、十五六のおりから、そうした得意先まわりをさせられていた。お島のきびきびした調子と、
蓮葉
(
はすは
)
な取引とが、到るところで評判がよかった。
物馴
(
ものな
)
れてくるに従って、お島の顔は一層広くなって行った。
それが小心な養父には、気に入らなかった。時々お島は養父から小言を言われた。
「
可
(
い
)
いじゃありませんか
阿父
(
おとっ
)
さん、家の
身上
(
しんしょう
)
をへらすような
気遣
(
きづかい
)
はありませんよ」お島は
煩
(
うる
)
さそうに言った。
「阿父さんのように
吝々
(
けちけち
)
していたんじゃ、手広い商売は出来やしませんよ」
ぱっぱっとするお島の
遣口
(
やりくち
)
に、不安を
懐
(
いだ
)
きながらも、
気無性
(
きぶしょう
)
な養父は、お島の働きぶりを調法がらずにはいられなかった。
「嘘ですよ」
お島は作と自分との結婚を否認した。
「それでも作さんがそう言っていましたぜ」取引先の或人は、そう言って面白そうにお島の顔を
瞶
(
みつ
)
めた。
「あの莫迦の言うことが、信用できるもんですか」お島は鼻で笑っていた。
王子の方にある生家へ逃げて帰るまでに、お島の周囲には、その噂が到るところに拡がっていた。
「それじゃお前は、どんな男が望みなのだえ」おとらは
終
(
しまい
)
にお島に訊ねた。
「そうですね」お島はいつもの調子で答えた。
「私はあんな愚図々々した人は大嫌いです。
些
(
ちっ
)
とは何か大きい仕事でもしそうな人が好きですの。そして、もっと綺麗に暮していけるような人でなければ、一生紙をすいたり、金の利息の勘定してるのはつくづく厭だと思いますわ」