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 あらかた出来あがったところで、大工の手を離れた店の飾窓や、入口の ( ドア ) に張るべき 硝子 ( ガラス ) を、お島が小野田に言われて、根津に家を持ったときから顔を知られている或硝子屋へ懸けあいに行ったのは、それから間もなくであった。

 お島はその日も、新しい店を持った吹聴かたがた、朝から 顧客 ( とくい ) まわりをして、三時頃にやっと帰って来たが、夏場はどこでも註文がなくて、代りに一つ二つの直しものを受取ったきりであった。

 外は 黄熟 ( おうじゅく ) した八月の暑熱が、じりじり大地に 滲透 ( しみとお ) るようであった。 ( せみ ) の声などのまだ木蔭に涼しく聞かれる頃に、家を出ていった彼女は、行く先々で、取るべき金の当がはずれたり、 ( あるじ ) が旅行中であったりした。古くからの ( なじ ) みの家では、彼女は病気をしている子供のために、氷を取替えたり、 団扇 ( うちわ ) ( あお ) いだりして、三時間も人々に代って看護をしていたりして、目がくらくらするほど空腹を感じて来た頃に、家へ帰って来たのであった。

 家では大工がみんな昼寝をしていた。小野田もミシン台をすえた奥の六畳の涼しい窓の下で、横わっていた。

 お島はそこらをがたぴし言わせて、着替などをしていた。根津の家を引払う前に、田舎へ還してしまった父親の毎日々々飲みつづけた酒代の、したたか滞っている酒屋の註文聞の一人に、途中で出逢って、自分の方からその男に声をかけて来なければならなかったことなどが、一層彼女の 頭脳 ( あたま ) をむしゃくしゃさせていた。小野田がその父親を呼寄せさえしなければ、あの家もどうか ( こう ) か持続けて行けたように考えられた。あの飲んだくれのために、どのくらい自分の頭脳が 掻廻 ( かきまわ ) され、働きが鈍らされたか知れないと思った。

( ぶち ) のめしても飽足りない奴だ」

 お島は、酔ったまぎれに自分を離縁しろといって、小野田を 手甲擦 ( てこず ) らせていたと云う父親の言分から、内輪が 大揉 ( おおも ) めにもめて、到頭田舎へ帰って行くことになった父親に対する憎悪が、また胸に燃えたって来るのを覚えた。小野田の寝顔までが腹立しく見返えられた。

「せっせと仕事をして下さいよ。莫迦みたいな顔して寝ていちゃ困りますよ」

 小野田が薄目をあいて、ちろりと彼女の顔を見たとき、お島はいらいらした声で言った。

 お島は台所で飯を食べている時分に、やっと小野田はのそのそ起出して来た。

「仕事々々って、そうがみがみ言ったって仕事ができるもんじゃないよ」

 小野田は火鉢の傍へ来て、 ( たばこ ) をふかしはじめながら、まだ 眠足 ( ねむりた ) りないような ( あか ) い目をお島の方へ向けた。

「それよりか硝子の工面もしなければならず、店だって飾なしにおかれやしない」

「知らないよ、私は。自分でもちっと心配するがいいんだ」お島は言返した。