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六十六

 芝の方で、適当な或 ( ちいさ ) い家が見つかって、そこで小野田と二人で、お島がこれこそと見込んだ商売に取着きはじめたのは、十二月も余程押迫って来てからであった。

 そうなるまでに、お島は幾度 生家 ( うち ) の方へ資金の融通を頼みに行ったか知れなかった。小いところから仕上げて大きくなって行った、 大店 ( おおだな ) の成功談などに 刺戟 ( しげき ) されると、彼女はどうでも ( こう ) でもそれに取着かなくてはならないように心が ( いら ) だって来た。町を通るごとに、どれもこれも相当に行き立っているらしい大きい小いそれらの店が、お島の腕をむずむずさせた。見たところ派手でハイカラで ( もうけ ) の荒いらしいその商売が、一番自分の気分に ( ふさ ) っているように思えた。

「田町の方に、こんな家があるんですがね」

 お島はもと郵便局であった、間口二間に、奥行三間ほどの貸家を目っけてくると、早速小野田に逢ってその話をした。金をかけて少しばかり手入をすれば、物に成りそうに思えた。

取着 ( とりつき ) には持ってこいの家だがね」

 持主が、隣の酒屋だと云うその家が、小野田にも望みがありそうに思えた。

「あすこなら、物の百円とかけないで、手頃な店が出来そうだね。それに家賃は安いし、大家の電話は借りられるし」

 幾度足を運んでも、母親が 頑張 ( がんば ) って金を出してくれない 生家 ( うち ) から、鶴さんと別れたとき ( はこ ) びこんで来たままになっている自分の 箪笥 ( たんす ) や鏡台や着物などを、 ( やっ ) とのことで持出して来たとき、お島は小野田や自分の手で、着物の目星しいものをそっち 此方 ( こっち ) 売ってあるいた。

 もと大秀の兄弟分であった大工が 愛宕下 ( あたごした ) の方にいることを、思いだして、それに店の手入を頼んでから、郵便局に使われていた古いその家の店が、急に土間に床が ( こしら ) えられたり、天井に紙が張られたり、棚が作られたりした。一畳三十銭ばかりの安畳が、どこかの古道具屋から持運ばれたりした。

 雨降がつづいて、 木片 ( きぎれ ) 鋸屑 ( おがくず ) の散らかった土間のじめじめしているようなその店へ、二人は移りこんで行った。

 陳列棚などに思わぬ金がかかって、店が全く洋服屋の体裁を ( そな ) えるようになるまでに、昼間お島の帯のあいだに仕舞われてある財布が、二度も三度も ( から ) になった。大工が道具箱を ( すみ ) の方に寄せて、帰って行ってから、お島はまたあわただしく箪笥の 抽斗 ( ひきだし ) から取出した着物の包をかかえて、裏から ( そっ ) と出て行った。

 外はもう 年暮 ( としぐれ ) の景色であった。赤い旗や 紅提灯 ( べにぢょうちん ) に景気をつけはじめた忙しい町のなかを、お島は込合う電車に乗って、伯母の近所の質屋の方へと心が ( ) かれた。