七十六
そんな
噂
(
うわさ
)
がいつか町内へ拡がったところから、縁起を祝うために、鈴木組と云う近所の請負師の親分の家で出た註文を、不意に受けたのが縁で、その男の引立で、家が
遽
(
にわか
)
に景気づいて来た。
月島で幅を
利
(
きか
)
していたその請負師の家へ、お島は新調の
著物
(
きもの
)
などを着込んで、註文を聞きに行った。寒い雨の降る日で、
茶
(
ちゃ
)
の
室
(
ま
)
の火鉢の側には下に使われている男が仕事を休んで、四五人集っていた。大きな縁起棚の傍には、つい三四日前の
酉
(
とり
)
の
市
(
いち
)
で買って来た熊手などが景気よく飾られて、諸方からの附届けのお歳暮が、山のように積まれてあった。男達のなかには、お島が
見知
(
みしり
)
の顔も見受けられた。
「お上さんは莫迦に鉄火な女だっていうから、
外套
(
がいとう
)
を一つ
拵
(
こさ
)
えてもらおうと思うんだが......」
金歯や指環などをぴかぴかさせて、糸織の
褞袍
(
どてら
)
に
着脹
(
きぶく
)
れている、五十年輩のその親方は、そう言いながら、サンプルを見はじめた。
痩
(
やせ
)
ぎすな三十七八の小意気な女が、軟かものを引張って、傍に坐っていた。
「工合がよければ、またちょいちょい好いお客をおれが周旋するよ」
親分は無造作に註文を決めて了うと、そう言って莨をふかしていた。今まで受けたこともないような
河獺
(
かわおそ
)
の
衿
(
えり
)
つき外套や、
臘虎
(
らっこ
)
のチョッキなどに、お島は
当素法
(
あてずっぽう
)
な見積を立てて目の飛出るほどの法外な高値を、何の苦もなく吹きかけたのであった。
「これを一つあなたのような方に召していただいて、是非皆さんに御吹聴して頂きたいのでございます。どういたしましても、親方のようなお顔の売れた方の御
贔屓
(
ひいき
)
にあずかりませんと、
私共
(
わたくしども
)
の商売は成立って行きませんのでございます」
男達はみんなお島の
弁
(
しゃべ
)
る顔を見て、面白そうに笑っていた。
「お上さんの家では、お上さんが大層な働きもので、お亭主はぶらぶら遊んでいるというじゃないか」男たちはお島に話しかけた。
「
衆
(
みな
)
さんがそう言って下さいます」お島は赤い顔をして、サンプルを仕舞っていた。
「たまに宅へお見えになるお客がございましても、
私
(
わたくし
)
がいないと御註文がないと云う始末でございますから。あれじゃお前が一人で切廻す訳だと、お客さまが
仰
(
おっし
)
ゃって下さいます」
お島はそう言って、この商売をはじめた自分の
行立
(
ゆきたて
)
を話して、
衆
(
みんな
)
を面白がらせながら、二時間も話しこんでいた。
「あの辺でおきき下さいませば、もう
誰方
(
どなた
)
でも御存じでございます。
滝庄
(
たきしょう
)
という親分が、以前私の父の兄で、顔を売っていたものですから、ああ云う社会の
方
(
かた
)
が、あの辺ではちょいちょい私のお得意さまでございます」
帰りがけにお島は、自分のそうした身のうえまで話した。