University of Virginia Library

Search this document 

 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
 19. 
 20. 
 21. 
 22. 
 23. 
 24. 
 25. 
 26. 
 27. 
 28. 
 29. 
 30. 
 31. 
 32. 
 33. 
 34. 
 35. 
 36. 
 37. 
 38. 
 39. 
 40. 
 41. 
 42. 
 43. 
 44. 
 45. 
 46. 
 47. 
 48. 
 49. 
 50. 
 51. 
 52. 
 53. 
 54. 
 55. 
 56. 
 57. 
 58. 
 59. 
 60. 
 61. 
 62. 
 63. 
 64. 
 65. 
 66. 
 67. 
 68. 
 69. 
 70. 
 71. 
 72. 
 73. 
 74. 
 75. 
 76. 
七十六
 77. 
 78. 
 79. 
 80. 
 81. 
 82. 
 83. 
 84. 
 85. 
 86. 
 87. 
 88. 
 89. 
 90. 
 91. 
 92. 
 93. 
 94. 
 95. 
 96. 
 97. 
 98. 
 99. 
 100. 
 101. 
 102. 
 103. 
 104. 
 105. 
 106. 
 107. 
 108. 
 109. 
 110. 
 111. 
 112. 
 113. 
  

  

七十六

 そんな ( うわさ ) がいつか町内へ拡がったところから、縁起を祝うために、鈴木組と云う近所の請負師の親分の家で出た註文を、不意に受けたのが縁で、その男の引立で、家が ( にわか ) に景気づいて来た。

 月島で幅を ( きか ) していたその請負師の家へ、お島は新調の 著物 ( きもの ) などを着込んで、註文を聞きに行った。寒い雨の降る日で、 ( ちゃ ) ( ) の火鉢の側には下に使われている男が仕事を休んで、四五人集っていた。大きな縁起棚の傍には、つい三四日前の ( とり ) ( いち ) で買って来た熊手などが景気よく飾られて、諸方からの附届けのお歳暮が、山のように積まれてあった。男達のなかには、お島が 見知 ( みしり ) の顔も見受けられた。

「お上さんは莫迦に鉄火な女だっていうから、 外套 ( がいとう ) を一つ ( こさ ) えてもらおうと思うんだが......」

 金歯や指環などをぴかぴかさせて、糸織の 褞袍 ( どてら ) 着脹 ( きぶく ) れている、五十年輩のその親方は、そう言いながら、サンプルを見はじめた。 ( やせ ) ぎすな三十七八の小意気な女が、軟かものを引張って、傍に坐っていた。

「工合がよければ、またちょいちょい好いお客をおれが周旋するよ」

 親分は無造作に註文を決めて了うと、そう言って莨をふかしていた。今まで受けたこともないような 河獺 ( かわおそ ) ( えり ) つき外套や、 臘虎 ( らっこ ) のチョッキなどに、お島は 当素法 ( あてずっぽう ) な見積を立てて目の飛出るほどの法外な高値を、何の苦もなく吹きかけたのであった。

「これを一つあなたのような方に召していただいて、是非皆さんに御吹聴して頂きたいのでございます。どういたしましても、親方のようなお顔の売れた方の御 贔屓 ( ひいき ) にあずかりませんと、 私共 ( わたくしども ) の商売は成立って行きませんのでございます」

 男達はみんなお島の ( しゃべ ) る顔を見て、面白そうに笑っていた。

「お上さんの家では、お上さんが大層な働きもので、お亭主はぶらぶら遊んでいるというじゃないか」男たちはお島に話しかけた。

( みな ) さんがそう言って下さいます」お島は赤い顔をして、サンプルを仕舞っていた。

「たまに宅へお見えになるお客がございましても、 ( わたくし ) がいないと御註文がないと云う始末でございますから。あれじゃお前が一人で切廻す訳だと、お客さまが ( おっし ) ゃって下さいます」

 お島はそう言って、この商売をはじめた自分の 行立 ( ゆきたて ) を話して、 ( みんな ) を面白がらせながら、二時間も話しこんでいた。

「あの辺でおきき下さいませば、もう 誰方 ( どなた ) でも御存じでございます。 滝庄 ( たきしょう ) という親分が、以前私の父の兄で、顔を売っていたものですから、ああ云う社会の ( かた ) が、あの辺ではちょいちょい私のお得意さまでございます」

 帰りがけにお島は、自分のそうした身のうえまで話した。