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七十四

 小野田の ( ひる ) んだところを見て、外へ飛出したお島は、 何処 ( どこ ) へ往くという目当もなしに、 幾箇 ( いくつ ) もの町を突切って、不思議に勢いづいた機械のような足で、ぶらぶら海岸の方へと歩いて行った。

 町幅のだだっ広い、単調で 粗雑 ( がさつ ) な長い大通りは、どこを見向いても陰鬱に 闃寂 ( ひっそり ) していたが、その癖寒い冬の夕暮のあわただしい物音が、 ( さび ) れた町の底に ( おど ) んでいた。 ( くす ) みきった男女の顔が、そこここの薄暗い店屋に見られた。活気のない顔をして職工がぞろぞろ通ったり、自転車のベルが、海辺の湿っぽい空気を透して、 気疎 ( けうと ) く耳に響いたりした。目に見えないような 大道 ( だいどう ) の白い砂が、お島の涙にぬれた目や頬に、どうかすると痛いほど吹つけた。

 お島は死場所でも捜しあるいている宿なし女のように、橋の ( たもと ) をぶらぶらしていたが、時々 欄干 ( らんかん ) にもたれて、争闘に ( つか ) れた体に 気息 ( いき ) をいれながら、ぼんやり ( たたず ) んでいた。寒い 汐風 ( しおかぜ ) が、蒼い皮膚を刺すように 沁透 ( しみとお ) った。

 やがて 仄暗 ( ほのぐら ) い夜の色が、 縹渺 ( ひょうびょう ) とした水のうえに ( はい ) ひろがって来た。そしてそこを離れる頃には、気分の 落著 ( おちつ ) いて来たお島は、腰の方にまた ( はげ ) しい 疼痛 ( とうつう ) を感じた。

 暗くなった町を通って、家へ入って行った時、店の入口で見慣れぬ 老爺 ( じじい ) の姿が、お島の目についた。

 お島は一言二言口を利いているうちに、それがつい二三日前に、ふっと引込まれて行くような 射倖心 ( しゃこうしん ) が動いて、つい買って見る気になった或 ( かけ ) ものの ( あた ) った 報知 ( しらせ ) であることが解った。

「お上さんは気象が面白いから、きっと ( あた ) りますぜ」

 暮をどうして越そうかと、気をいらいらさせているお島に、そんな事に明い職人が 説勧 ( ときすす ) めてくれた。秘密にそれの周旋をしている家の、近所にあることまで、彼は知っていた。

( いや ) だよ、私そんなものなんか買うのは......」お島はそう言って最初それを拒んだが、やっぱり誘惑されずにはいなかった。

「そんな事をいわずに、物は試しだから一口買ってごらんなさい、しかし 度々 ( たびたび ) ( ) けません、 ( あた ) ったら一遍こきりでおよしなさい」職人は勧めた。

「何といって買うのさ」

「何だって 介意 ( かま ) いません。あんたが何処かで見たものとか聞いた事とか......見た夢でもあれば尚面白い」

 それでお島は、 昨夜 ( ゆうべ ) 見た竜の夢で、それを買って見ることにしたのであった。

  ( おも ) いもかけない二百円ばかりの ( まと ) まった金を、それでその爺さんが持込んで来てくれたのであった。

 秘密な 喜悦 ( よろこび ) が、恐怖に襲われているお島たちの暗い心のうえに拡がって来た。

「何だか気味がわるいようだね」

 爺さんの行ったあとで、お島はその金を 神棚 ( かみだな ) へあげて拝みながら、小野田に 私語 ( ささや ) いた。