University of Virginia Library

Search this document 

 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
 19. 
 20. 
 21. 
 22. 
 23. 
 24. 
 25. 
 26. 
 27. 
 28. 
 29. 
 30. 
 31. 
 32. 
 33. 
 34. 
 35. 
 36. 
 37. 
 38. 
 39. 
 40. 
 41. 
 42. 
四十二
 43. 
 44. 
 45. 
 46. 
 47. 
 48. 
 49. 
 50. 
 51. 
 52. 
 53. 
 54. 
 55. 
 56. 
 57. 
 58. 
 59. 
 60. 
 61. 
 62. 
 63. 
 64. 
 65. 
 66. 
 67. 
 68. 
 69. 
 70. 
 71. 
 72. 
 73. 
 74. 
 75. 
 76. 
 77. 
 78. 
 79. 
 80. 
 81. 
 82. 
 83. 
 84. 
 85. 
 86. 
 87. 
 88. 
 89. 
 90. 
 91. 
 92. 
 93. 
 94. 
 95. 
 96. 
 97. 
 98. 
 99. 
 100. 
 101. 
 102. 
 103. 
 104. 
 105. 
 106. 
 107. 
 108. 
 109. 
 110. 
 111. 
 112. 
 113. 
  

  

四十二

 夜になると、お島はまた隠居の足腰をさすって、寝かしつけてやるのが、毎日の日課であったが、時とすると 子息 ( むすこ ) 夫婦に対する、病的な嫉妬から起るこの 老婦 ( としより ) の兇暴な 挙動 ( ふるまい ) をも ( なだ ) めてやらなければならなかった。

 四十代時分には、時々若い 遊人 ( あそびにん ) などを ( ちかづ ) けたと云う噂のある隠居は、おゆうが嫁に来るまでは、 ( ちいさ ) い時から甘やかして育てて来た 子息 ( むすこ ) の房吉を、 猫可愛 ( ねこかわゆ ) がりに愛した。一度脳を ( わずら ) ったりなどしてから、気に 引立 ( ひったち ) がなくなって、 温順 ( おとな ) しい一方なのが、 彼女 ( かれ ) には 不憫 ( ふびん ) でならなかった。房吉は植木屋の仕事としては、これと云うこともさせられずに日を送って来たが、始終家にばかり引込んで、母親の傍に ( ひき ) つけられていたので、友達というものもなかった。絵の好きであった彼は、十六七の時分には、絵師になろうとの希望を ( いだ ) きはじめたが、それも母親に ( さえぎ ) られて、修業らしい修業もしずにしまった。

 寝るにも起きるにも、自分ばかりを 凝視 ( みつ ) めて暮しているような、年取った母親の 苛辣 ( からつ ) な目が、房吉には段々 ( いと ) わしくなって来た。そして何時の頃からか時々顔を合す機会のあった、おゆうの懐かしい娘姿に心が ( ひき ) つけられた。どんなことがあっても、おゆうちゃんを嫁に貰ってくれなければならない、房吉のそう言った ( ことば ) が、母親の口から大秀やおゆうの耳へも入れられた。

 結婚してからも、どうかすると、おゆうから離されて、房吉が 気鬱 ( きぶせ ) な母親の側に寝かされたり、おゆうが夜おそくまで、母親の側に坐って、足腰を揉ませられたりした。 夜更 ( よなか ) 目敏 ( めざと ) い母親の 跫音 ( あしおと ) が、夫婦の 寝室 ( ねま ) の外の縁側に聞えたり、 ( ) 未明 ( ひきあけ ) に板戸を引あけている、いらいらしい声が聞えたりした。

 お島が来てからも、おゆうが物蔭で泣いているようなことが、時々あった。

 家にいても、大抵きちんとした 身装 ( なり ) をして、庭の方は職人まかせにして、自身は花を ( ) けたり、書画を ( いじ ) ったりして暮している内気な房吉は、どうかすると母親から、聴いていられないような毒々しい ( ことば ) を浴せられた。

「あれを手前の子と思ってるのが、大間抜だ」母親はそうも言った。

 衰えのみえる目などのめっきり水々して来たおゆうは、 爾時 ( そのとき ) 五月 ( いつつき ) の腹を抱えていた。日に日に 気懈 ( けだる ) そうにみえて来るおゆうの ( なまめ ) いた姿や、良人に甘えるような素振が、母親には見ていられないほど腹立しくてならなかった。