二十四
晩方近くに、様子を探りかたがた、ここから
幾許
(
いくら
)
もない
生家
(
さと
)
を見舞った姉は、養家の方からお島を尋ねに出向いて来た人達が、その時丁度奥で父親とその話をしているところを見て帰って来た。それらの人を
犒
(
ねぎら
)
うために、台所で酒の
下物
(
さかな
)
の支度などをしていた母親と、姉は
暫
(
しばら
)
く水口のところで立話をしてから、お島のところへ戻って来たのであった。
「島ちゃん、お前さん今のうちちょっと顔をだしといた方がいいよ」
一日痛い
頭脳
(
あたま
)
をかかえて奥で寝転んでいたお島の傍へ来て、姉は
説勧
(
ときすす
)
めた。
お島は何だか胸がむしゃくしゃしていた。今夜にも旅費を
拵
(
こしら
)
えて、田舎の方にいる兄のところへ
遠
(
とお
)
っ
走
(
ぱし
)
りをしようかとも考えていた。どこか船で渡るような遠い外国へ往って、労働者の群へでも身を投じようかなどと、
棄鉢
(
すてばち
)
な空想に
耽
(
ふけ
)
ったりした。夜明方まで作と闘った体の節々が、所々痛みをおぼえるほどであった。
姉婿も同じようなことを言って、お島に意見を加えた。お島はくどくどしいそれ等の忠告が、耳にも入らなかったが、何時まで頑張ってもいられなかった。
「ふん、
御父
(
おとっ
)
さんや
御母
(
おっか
)
さんに、私のことなんか解るものですか。
彼奴
(
あいつ
)
等は寄ってたかって私を好いようにしようと思っているんだ」お島はぷりぷりして
呟
(
つぶや
)
きながら出ていった。
外はもうとっぷり暮れて、立昇った深い水蒸気のなかに、山の手線の電燈や、人家の
灯影
(
ほかげ
)
が水々して見えた。茶畑などの続いている
生家
(
さと
)
の住居の
周囲
(
まわり
)
の垣根のあたりは、一層静かであった。
お島が入っていった時分には、もう
衆
(
みんな
)
は
弓張提灯
(
ゆみはりぢょうちん
)
などをともして、一同引揚げていったあとであった。お島は
両親
(
ふたおや
)
の前へ出ると、急に胸苦しくなって、
昨夜
(
ゆうべ
)
から張詰めていた心が一時に
弛
(
ゆる
)
ぶようであった。
「御心配をかけて、どうも済みません」お島はそう言ってお
叩頭
(
じぎ
)
をしようとしたが、筋肉が
硬張
(
こわば
)
ったようで首も下らなかった。
「何て
莫迦
(
ばか
)
なまねをしてくれたんだ」父親はお島に口を
開
(
あ
)
かせず、いきなり
熱
(
いき
)
り立って来たが、養家の財産のために、何事にも目をつぶろうとして来たらしい父親の心が、やっとお島にも見えすいて来た。