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 お島は養父がいつまでも内に入って来ようともしず、入って来ても、飯がすむと直ぐ帳簿調に取かかったりして、無口でいるのを自分のことのように気味悪くも思った。お島はいつもするように、「肩をもみましょうか」と云って、養父の手のすいた時に、後へ廻って、養母に代って 機嫌 ( きげん ) を取るようにした。お島は九つ十の時分から、養父の肩を ( ) ませられるのが習慣になっていた。

 おとらは一ト休みしてから、晴れ着の始末などをすると、そっち 此方 ( こっち ) 戸締をしたり、一日取ちらかった 其処 ( そこ ) らを 疳性 ( かんしょう ) らしく取片着けたりしていたが、そのうちに夫婦の間にぼつぼつ話がはじまって、今日行ったお茶屋の ( うわさ ) なども出た。そのお茶屋を養父も昔から知っていた。

 此処から三四里もある或町の農家で同じ製紙業者の娘であったおとらは、その父親が若いおりに東京で懇意になった或女に産れた子供であったので、東京にも知合が多く、都会のことは ( ) く知っているが、今の 良人 ( おっと ) が取引上のことで、ちょくちょく其処へ出入しているうちに、いつか親しい ( なか ) になったのだと云うことは、お島もおとらから聞かされて知っていた。その頃 痩世帯 ( やせじょたい ) を張っていた養父は、それまで義理の母親に育てられて、不仕合せがちであったおとらと一緒になってから、二人で心を合せて一生懸命に稼いだ。その苦労をおとらは能くお島に言聞せたが、 身上 ( しんしょう ) ができてからのこの二三年のおとらの心持には、いくらか ( たる ) みができて来ていた。世間の快楽については、何もしらぬらしい養父から、少しずつ心が離れて、長いあいだの圧迫の反動が、彼女を ( ) もすると 放肆 ( ほうし ) な生活に 誘出 ( おびきだ ) そうとしていた。

 お島は長いあいだ養父母の体を揉んでから、 ( やっ ) と寝床につくことが出来たが、お茶屋の奥の間での、 刺戟 ( しげき ) の強い今日の 男女 ( ふたり ) の光景を思浮べつつ、 ( じき ) ( すこ ) やかな眠に陥ちて了った。蛙の声がうとうとと疲れた耳に聞えて、発育盛の手足が ( だる ) ( ほて ) っていた。

  翌朝 ( あした ) も養父母は、何のこともなげな様子で働いていた。

 お花を連出すときも、 男女 ( ふたり ) の遊び場所は 矢張 ( やはり ) 同じお茶屋であったが、お島はお花と一緒に、浅草へ遊びにやって貰ったりした。お島はお花と ( くるま ) で上野の方から浅草へ出て往った。そして観音さまへお詣りをしたり、花屋敷へ入ったりして、 ( とき )

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を消した。二人は手を引合って人込のなかを歩いていたが、 矢張 ( やっぱり ) 心が落着かなかった。

 おとらは時とすると、若い青柳の細君をつれだして、東京へ遊びに行くこともあったが、内気らしい細君は、誘わるるままに素直について往った。おとらは 往返 ( いきかえ ) りには青柳の家へ寄って、姉か何ぞのように 挙動 ( ふるま ) っていたが、細君は心の侮蔑を ( おもて ) にも現わさず、物静かに 待遇 ( あしら ) っていた。