二
その時お島の父親は、どういう
心算
(
つもり
)
で水のほとりへなぞ彼女をつれて行ったのか、今考えてみても父親の心持は
素
(
もと
)
より解らない。
或
(
あるい
)
は渡しを向うへ渡って、そこで知合の
家
(
うち
)
を尋ねてお島の体の始末をする目算であったであろうが、お島はその場合、水を見ている父親の暗い顔の底に、或
可恐
(
おそろ
)
しい
惨忍
(
ざんにん
)
な
思着
(
おもいつき
)
が潜んでいるのではないかと、ふと幼心に感づいて、
怯
(
おび
)
えた。父親の顔には悔恨と
懊悩
(
おうのう
)
の色が現われていた。
赤児のおりから里にやられていたお島は、家へ引取られてからも、気強い母親に
疎
(
うと
)
まれがちであった。始終めそめそしていたお島は、どうかすると母親から、小さい手に
焼火箸
(
やけひばし
)
を押しつけられたりした。お島は涙の目で、その火箸を見詰めていながら、剛情にもその手を引込めようとはしなかった。それが一層母親の憎しみを募らせずにはおかなかった。
「この
業
(
ごう
)
つく
張
(
ばり
)
め」彼女はじりじりして、そう言って
罵
(
ののし
)
った。
昔は庄屋であったお島の家は、その頃も界隈の人達から尊敬されていた。祖父が将軍家の
出遊
(
しゅつゆう
)
のおりの休憩所として、広々した庭を献納したことなどが、家の由緒に立派な光を添えていた。その地面は今でも市民の遊園地として
遺
(
のこ
)
っている。庭作りとして、高貴の家へ出入していたお島の父親は、彼が一生の
瑕
(
きず
)
としてお島たちの母親である彼が二度目の妻を、
賤
(
いや
)
しいところから迎えた。それは彼が、時々酒を飲みに行く、近辺の或安料理屋にいる女の一人であった。彼女は家にいては
能
(
よ
)
く働いたがその
身状
(
みじょう
)
を誰も好く言うものはなかった。
お島が今の養家へ貰われて来たのは、
渡場
(
わたしば
)
でその時行逢った父親の知合の男の
口入
(
くちいれ
)
であった。
紙漉場
(
かみすきば
)
などをもって、細々と暮していた養家では、その頃不思議な利得があって、
遽
(
にわか
)
に身代が太り、地所などをどしどし買入れた。お島は
養親
(
やしないおや
)
の口から、時々その折の不思議を
洩
(
も
)
れ聞いた。それは
全然
(
まるで
)
作物語
(
つくりものがたり
)
にでもありそうな事件であった。或冬の夕暮に、
放浪
(
さすらい
)
の旅に疲れた一人の
六部
(
ろくぶ
)
が、そこへ一夜の宿を乞求めた。夜があけてから、思いがけない或幸いが、この一家を見舞うであろう由を
言告
(
いいつ
)
げて立去った。その旅客の
迹
(
あと
)
に、貴い多くの小判が、外に積んだ
楮
(
かぞ
)
のなかから、二三日たって発見せられた。養父は大分たってから、一つはその旅客の迹を追うべく、一つは諸方の神仏に、自分の
幸
(
さち
)
を感謝すべく、同じ巡礼の旅に上ったが、
終
(
つい
)
にそれらしい人の姿にも出逢わなかった。
左
(
と
)
に
右
(
かく
)
、養家はそれから好い事ばかりが続いた。ちょいちょい町の人達へ金を貸つけたりして、夫婦は財産の殖えるのを楽んだ。
「その六部が何者であったかな」養父は
稀
(
まれ
)
に
門辺
(
かどべ
)
へ来る六部などへ、厚く報謝をするおりなどに、その頃のことを想出して、お島に
語聞
(
かたりきか
)
せたが、お島はそんな事には格別の興味もなかった。
養家へ来てからのお島は、
生
(
うみ
)
の親や兄弟たちと顔を合す機会は、滅多になかった。