三十五
荒い夏の風にやけて、鶴さんが北海道の旅から帰って来たのは、それから二月半も経ってからであった。暑い盛りの八月も過ぎて、東京の空には、朝晩にもう秋めかした風が吹きはじめていた。
鶴さんの話によると、帰りの遅くなったのは、東北の方にあるその生れ故郷へ立寄って、年取った父親に逢ったり、旅でそこねた健康を回復するために、近くの温泉場へ湯治に行っていたりした為だというのであったが、それから程なく、鶴さんの留守の
間
(
ま
)
に北海道から入って来た数通の手紙の一つが、旅で
馴染
(
なじみ
)
になった女からであることが、その手紙の
表記
(
うわがき
)
でお島にも
容易
(
たやす
)
く感づけた。
帰ってからも、そっちこっち飛歩いていて、
碌々
(
ろくろく
)
旅の話一つしんみり
為
(
し
)
ようともしなかった鶴さんが、ある日帳簿などを調べたところによると、お島はお島だけで、留守中に
可也
(
かなり
)
販路を拡めていることが解って来たが、それは
率
(
おおむ
)
ね金払いのわるいような家ばかりであった。これまでに鶴さんが手をやいた
質
(
たち
)
の悪い
向
(
むき
)
も二三軒あったが、中にはまたお島が古くから知っている堅い屋敷などもあった。お島は少しでも
手繋
(
てがかり
)
のあるようなそれ等の家から、食料品の註文を取ることが、留守中の毎日々々の仕事であったが、品物ばかり出て勘定の滞っているのが、
其方
(
そっち
)
にも
此方
(
こっち
)
にも発見せられた。
悪阻
(
つわり
)
などのために、夏中
動
(
やや
)
もするとお島は店へも顔を出さず、二階に床を敷いて、一日寝て暮すような日が多かったが、気分の好い時でも、その日その日の
売揚
(
うりあげ
)
の勘定をしたり、店のものと一緒に、掛取に
頭脳
(
あたま
)
を使ったりするのが
煩
(
わずら
)
わしくなると、着飾って
生家
(
さと
)
や植源へ遊びに出かけるか、
昵
(
なじ
)
みの多い
旧
(
もと
)
の養家の
居周
(
いまわり
)
やその得意先へ上って話こむかして、時間を
銷
(
け
)
さなければならなかった。養家では、作太郎が近所の長屋を一軒もらって、嫁と一緒に相変らず真黒になって働いていたが、お島はその方へも声をかけた。
「今度田舎の土産でもさげて、お島さんの婿さんの顔を見にいくだかな」作は帰りがけのお島に言ってにやにや笑っていた。
「まあそうやって、後生大事に働いてるが
可
(
い
)
いや。私も
危
(
あぶな
)
く
瞞
(
だま
)
されるところだったよ。
養母
(
おっか
)
さんたちは人がわるいからね」お島も
棄白
(
すてぜりふ
)
でそこを出た。