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六十八

  大晦日 ( おおみそか ) が来るまでに、二時になっても三時になっても、皆が疲れた手を休めないような日が、三日も四日も続いた。

 夜が ( ) けるにつれて、表通りの売出しの楽隊の ( はや ) しが、途絶えてはまた 気懈 ( けだる ) そうに聞えて来た。門飾の 笹竹 ( ささだけ ) が、がさがさと ( くたび ) れた神経に刺さるような音を立て、風の ( むき ) で時々耳に立つ遠くの町の群衆の 跫音 ( あしおと ) が、 ( うしお ) でも寄せて来るように思い ( ) された。

 職人達の口に、 ( ) れ疲れた話声が途絶えると、寝不足のついて廻っているようなお島の重い 頭脳 ( あたま ) が、時々ふらふらして来たりした。がたんと言うアイロンの 粗雑 ( がさつ ) な響が、絶えず裁板のうえに落ちた。ミシンがまた歯の浮くような騒々しさで運転しはじめた。

「この人到頭寝てしまったよ」

 寒さ ( しの ) ぎに今までちびちび飲んでいた小野田が、いつの間にかそこに体を縮めて、ごろ

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寝をしはじめていた。

「今日は 幾日 ( いくか ) だと思っているのだい」

( かみ ) さんは感心に目の堅い ( ほう ) ですね」職人がそれに続いてまた口を利いた。

「私は二日や三日寝ないだって平気なもんさ」

 お島は元気らしく ( こた ) えた。

 晦日の夜おそく、仕上げただけの物を、小僧にも 脊負 ( しょ ) わせ、自分にも脊負って、勘定を受取って来たところで、 ( やっ ) と大家や外の小口を三四軒片着けたり、職人の手間賃を内金に半分ほども渡したりすると、残りは何程もなかった。

( うち ) じゃこういう騒ぎなんです」

 品物を借りてある女が、様子を見に来たとき、お島は 振顧 ( ふりむ ) きもしないで言った。

 店には仕事が ( ちら ) かり放題に散かっていた。 熨斗餅 ( のしもち ) ( すみ ) の方におかれたり、 牛蒡締 ( ごぼうじめ ) や輪飾が ( つか ) ねられてあったりした。

貴女 ( あなた ) の方は大口だから、今夜は勘弁してもらいましょうよ」

 お島はわざと ( かさ ) にかかるような調子で言った。

 小野田に嫁の世話を頼まれて、伯母がこれをと心がけていたその女は、言にくそうにして、職人の働きぶりに目を注いでいた。女は 居辛 ( いづら ) かった田舎の嫁入先を逃げて来て、東京で間借をして暮していた。着替や 頭髪 ( あたま ) の物などと一緒に持っていた 幾許 ( いくら ) かの金も、二三 ( かげつ ) の東京見物や、月々の生活費に使ってしまってから、手が利くところから仕立物などをして、小遣を ( かせ ) いでいた。二三度逢ううち直にお島はこの女を古い友達のようにして了った。

「まあ ( うち ) へ来て年越でもなさいよ」お島は女に言った。

 女は ( あき ) れたような顔をして、火鉢の傍で小野田と差向いに坐っていたが、間もなく黙って帰って行った。

「いくらお辞儀が嫌いだって、あんなこと言っちゃ ( ) けねえ」後で小野田がはらはらしたように言出した。

「ああでも言って 逐攘 ( おっぱら ) わなくちゃ、 遣切 ( やりき ) れやしないじゃないか」お島は ( ふる ) えるような声で言った。

「不人情で言うんじゃないんだよ。今に恩返しをする時もあるだろうと思うからさ」