三十七
植源の嫁のおゆうの部屋で、鶴さんと大喧嘩をした時のお島は、これまで
遂
(
つい
)
ぞ見たこともないようなお
盛装
(
めかし
)
をしていた。
お島が鶴さんに無断で、その取つけの呉服屋から、成金の令嬢か
新造
(
しんぞ
)
の着る様な金目のものを取寄せて、思いきったけばけばしい
身装
(
なり
)
をして、
劈頭
(
のっけ
)
に姉を訪ねたとき、彼女は一調子かわったお島が、何を
仕出来
(
しでか
)
すかと恐れの目を
※
(
みは
)
った。
看
(
み
)
ればハイカラに仕立てたお島の
頭髪
(
あたま
)
は、ぴかぴかする安宝石で輝き、指にも見なれぬ指環が光って、体に
咽
(
むせ
)
ぶような香水の
匂
(
におい
)
がしていた。
旅から帰ってからの鶴さんに、始終こってり
作
(
づくり
)
の
顔容
(
かおかたち
)
を見せることを怠らずにいたお島の鏡台には、何の考慮もなしに
自暴
(
やけ
)
に費さるる化粧品の
瓶
(
びん
)
が、不断に取出されてあった。
夜
(
よる
)
臥床
(
ふしど
)
に就くときも、色々のもので塗りあげられた彼女の顔が、電気の灯影に
凄
(
すご
)
いような厭な美しさを見せていた。
「大した
身装
(
なり
)
じゃないか。商人の
内儀
(
かみ
)
さんが、そんな事をしても
可
(
い
)
いの」惜気もなくぬいてくれる、お島が持古しの指環や、
櫛
(
くし
)
や
手絡
(
てがら
)
のようなものを、この頃に二度も三度ももらっていた姉は、
媚
(
こ
)
びるように、お島の顔を眺めていた。
「どうせ長持のしない
身上
(
しんしょう
)
だもの。今のうち好きなことをしておいた方が、
此方
(
こっち
)
の得さ。あの人だって、私に隠して勝手な
真似
(
まね
)
をしているんじゃないか」
お島はその日も、外へ出ていった鶴さんの
行先
(
ゆきさき
)
を、てっきり植源のおゆうの
許
(
とこ
)
と目星をつけて、やって来たのであった。そして気味を悪がって姉の止めるのも
肯
(
き
)
かずに、出ていった。
おどおどして入っていった植源の家の、丁度お八つ時分の
茶
(
ちゃ
)
の
室
(
ま
)
では、隠居や
子息
(
むすこ
)
と一緒に、鶴さんもお茶を飲みながら話込んでいたが、お島が手土産の菓子の折を、裏の方に
濯
(
すす
)
ぎものをしているおゆうに
示
(
み
)
せて、そこで
暫
(
しばら
)
く立話をしている
間
(
ま
)
に、鶴さんも例の折鞄を持って、そこを立とうとしておゆうに声をかけに来た。
「まあ
可
(
い
)
いじゃありませんか。お島さんの顔を見て
直
(
じ
)
き立たなくたって。御一緒にお帰んなさいよ」
おゆうは愛相よく
取做
(
とりな
)
した。
「自分に弱味があるからでしょう」お島は涙ぐんだ
面
(
おもて
)
を
背向
(
そむ
)
けた。
夫婦はそこで、二言三言言争った。
「
私
(
あっし
)
も、
島
(
これ
)
のいる前で、一つ皆さんに
訊
(
き
)
いてもらいたいです」鶴さんは
蒼
(
あお
)
くなって言った。
そしておゆうがお島をつれて、自分の部屋へ入ったとき、鶴さんもぶつぶつ言いながら、側へやって来た。
「
孰
(
どっち
)
も
孰
(
どっち
)
だけれど、鶴さんだって随分可哀そうよお島さん」
終
(
しま
)
いにおゆうはお島に言かけたとき、お島は
可悔
(
くやし
)
そうにぽろぽろ涙を流していた。
夫婦はそこで、
撲
(
なぐ
)
ったり、
武者振
(
むしゃぶり
)
ついたりした。
大分たってから、呼びにやった姉につれられて、お島はそこから姉の家へ還されていった。