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八十三

「どうです、今日は素敵に ( ) いお 顧客 ( とくい ) を世話してもらいましたよ」

 半日でも一日でも、外へ出て来ないと気のすまないようなお島は、職人たちの手がしばらく ( ) きかかったところで、その日も 幾日振 ( いくかぶり ) かで昼からサンプルをさげて出て行ったが、晩方に帰って来ると、お秀と一緒に店の方にいる川西にそう言って声かけた。

「為様がないね、私がなまけると直ぐこれだもの」お島は出てゆく時も、これと云う目星しい仕事もない工場の様子を見ながら言っていたが、出れば必ず何かしら註文を受けて来るのであった。中には自分の懇意にしている人のを、安く受けて来たのだと云って、小野田との相談で、店のものにはせず、自分たちだけの 儲仕事 ( もうけしごと ) にするものも時にはあった。そんなものを、小野田は店の仕事の 手隙 ( てすき ) に縫うことにしていたが、川西はそれを余り ( よろこ ) ばないのであった。

「ほんとに好い腕だが、惜しいもんだね」

 川西は、 ( ひと ) 店頭 ( みせさき ) にいた小僧を、京橋の方へ自転車で 用達 ( ようたし ) に出してから、註文先の話をしてお島に言った。彼はもう四十四五の年頃で、仕入ものや請負もので、店を大きくして来たのであったが、お島たちが入って来てから、上物の註文がぼつぼつ入るようになっていた。

 川西は晩酌をやった後で、酒くさい息をふいていた。工場では ( みん ) な夕方から遊びに出て行って、誰もいなかった。

「そんな腕を持っていながら、名古屋くんだりまで苦労をしに行くなんて、 余程 ( よっぽど ) 可笑 ( おかし ) いよ」

 川西は、傍に 附絡 ( つきまと ) っているお秀をも、湯へ出してやってから、時々口にすることをその時もお島に言出した。

「ですから私も 熟々 ( つくづく ) 厭になって了ったんです。あの時 ( とっく ) に別れる筈だったんです。でもやっぱりそうも行かないもんですからね」

「小野田さんと二人で、ここでついた得意でも持って出て、早晩 独立 ( ひとりだち ) になるつもりで居るんだろうけれど、あの腕じゃまず ( むずか ) しいね」

「そうですとも。これまで散々失敗して来たんですもの」

「どうだね、それよりか小野田さんと別れて、一つ私と一緒に ( かせ ) ぐ気はないかね」

 川西はにやにやしながら言った。

「御笑談でしょう」お島は 真紅 ( まっか ) になって、「 貴方 ( あなた ) にはお秀さんという人がいるじゃありませんか」

「あんなものを......」川西はげたげた笑いだした。「どこの馬の骨だか解りもしねえものを、誰が上さんなぞにする奴があるもんか」

「でも好い人じゃありませんか。可愛がっておあげなさいまし。私みたような 我儘 ( わがまま ) ものはとても駄目です」

 お島はそう言って、 ( ちゃ ) ( ) を通って工場の方へ入って行くと、汗ばんだ着物の着替に取りかかった。蒸暑い工場のなかは綺麗に片着いて、電気がかっかと照っていた。