四十七
車窓に襲いかかる
山気
(
さんき
)
が、次第に濃密の度を加えて来るにつれて、汽車はざッざッと云う音を立てて、静に高原地を登っていった。
鬱蒼
(
うっそう
)
とした其処ここの
杉柏
(
さんぱく
)
の梢からは、
烟霧
(
えんむ
)
のような
翠嵐
(
すいらん
)
が起って、細い雨が明い日光に
透
(
すか
)
し
視
(
み
)
られた。思いもかけない
山麓
(
さんろく
)
の傾斜面に
痩
(
や
)
せた田畑があったり、厚い
薮畳
(
やぶだたみ
)
の蔭に、人家があったりした。
その町へ着くまでに、汽車は寂しい停車場に、三度も四度も
駐
(
とどま
)
った。東京の
居周
(
いまわり
)
に見なれている町よりも美しい町が、自然の威圧に
怯
(
お
)
じ疲れて、口も
利
(
き
)
けないようなお島の目に異様に映った。
「へえ、こんな処にもこんな人がいるのかね」お島は不思議そうに、そこに見えている人達の姿を
凝視
(
みつ
)
めた。
S――と云うその町へ入った時にも、小雨がしとしとと降そそいでいた。停車場を出て橋を一つ渡ると、直ぐそこに
町端
(
まちはな
)
らしい休茶屋や、運送屋の軒に続いて
燻
(
くすぶ
)
りきった
旅籠屋
(
はたごや
)
が、二三軒目についた。
石楠花
(
しゃくなげ
)
や岩松などの植木を出してある
店屋
(
みせや
)
もあった。壮太郎とお島とは、そこを
俥
(
くるま
)
で通って行った。
町はどこも
彼処
(
かしこ
)
も、
闃寂
(
ひっそり
)
していた。
俥は
直
(
じき
)
に大通の真中へ出ていった。そこに石造の門口を
閉
(
とざ
)
した旅館があったり、大きな
用水桶
(
ようすいおけ
)
をひかえた銀行や、半鐘を備えつけた警察署があったりした。
壮太郎の家は、閑静なその裏通にあった。町屋風の格子戸や、
土塀
(
どべい
)
に囲われた門構の家などが、幾軒か
立続
(
たてつづ
)
いたはずれに、低い垣根に仕切られた広々した庭が、先ずお島の目を
惹
(
ひ
)
いた。木組などの
繊細
(
かぼそ
)
いその家は、まだ
木香
(
きが
)
のとれないくらいの
新建
(
しんだち
)
であった。
留守を頼んで行った
大家
(
おおや
)
の若い
衆
(
しゅ
)
と、そこの子供とが、広い家のなかを、我もの顔にごろごろしていた。
「へえ、こんな処でも商売が利くんですかね」
部屋に落着いたお島は、
縁端
(
えんばな
)
へ出て、庭を眺めながら呟いた。
「この町は先ずこれだけのものだけれど、
居周
(
いまわり
)
には、またそれぞれ大きな家があるからね」壮太郎は、茶盆や湯沸をそこへ持出して来ると、羽織をぬいで
胡坐
(
あぐら
)
を
掻
(
か
)
きながら
呟
(
つぶや
)
いた。
秋雨のような雨がまだじとじと降っていた。水分の多い
冷
(
つめた
)
い風が、遠く山国に来ていることを思わせた。ごとんごとんと云う
慵
(
だる
)
い水車の音が、どこからか、物悲しげに聞えていた。