五十三
繭買いや行商人などの姿が、
安旅籠
(
やすはたご
)
の二階などに見られる、五六月の
交
(
こう
)
になるまで、旅客の
迹
(
あと
)
のすっかり絶えてしまうこの町にも、県の官吏の
定宿
(
じょうやど
)
になっている浜屋だけには、時々洋服姿で入って来る泊客があった。その中には、鉄道の方の役員や、保険会社の勧誘員というような人達もあったが、それも月が一月へ入ると、ぱったり足がたえてしまって、浜屋の人達は、
炉端
(
ろばた
)
に額を
鳩
(
あつ
)
めて、飽々する時間を消しかねるような怠屈な日が多かった。
「さあ、こんな事をしちゃいられない」
朝の
拭
(
ふき
)
掃除がすんで
了
(
しま
)
うと、その仲間に加わって、時のたつのを知らずに話に
耽
(
ふけ
)
っていたお島は、
新建
(
しんだち
)
の奥座敷で、
昨夜
(
ゆうべ
)
も
悪好
(
わるず
)
きな花に夜を
更
(
ふか
)
していた主婦の、起きて出て来る姿をみると、急いで暖かい炉端を離れた。そして冬中女の手のへらされた勝手元の忙しい働きの
隙々
(
ひまひま
)
に見るように、主婦から
配
(
あて
)
がわれている仕事に坐った。仕事は大抵、これからの客に着せる夜着や、
※袍
(
どてら
)
や枕などの
縫釈
(
ぬいとき
)
であった。前二階の広い客座敷で、それらの仕事に坐っているお島は、気がつまって来ると、
独
(
ひとり
)
で鼻唄を謡いながら、機械的に針を動かしていたが、
遣瀬
(
やるせ
)
のない寂しさが、時々
頭脳
(
あたま
)
に襲いかかって来た。
窓をあけると、
鳶色
(
とびいろ
)
に曇った空の果に、山々の峰続きが
仄白
(
ほのじろ
)
く見られて、その奥の方にあると聞いている、
鉱山
(
やま
)
の人達の生活が物悲しげに
思遣
(
おもいや
)
られた。奥座敷の縁側に出してある、大きな
籠
(
かご
)
に
啼
(
な
)
いている
小禽
(
ことり
)
の声が、時々聞えていた。
市
(
まち
)
から引れてある電燈の光が、薄明く家のなかを照す頃になると、町はもう
何処
(
どこ
)
も
彼処
(
かしこ
)
も戸が閉されて、裏へ出てみると、一面に雪の降積った田畠や林や人家のあいだから、ごとんごとんと響く、水車の音が単調に聞えて、
涙含
(
なみだぐ
)
まるるような物悲しさが、快活に働いたり、笑ったりして見せているお島の心の底に、しみじみ
湧
(
わき
)
あがって来た。
その頃になると、いつも
炉端
(
ろばた
)
に姿をみせる精米所の主人が、もうやって来て大きな体を湯に浸っていた。そしてお島たちが湯に入る時分には、晩酌の好い機嫌で、懸離れた奥座敷に延べられた
臥床
(
ふしど
)
につくのであったが、花がはじまると、ぴちんぴちんと云う札の響が、
衆
(
みんな
)
の寝静った静な
屋内
(
やうち
)
に、いつまでも聞えていた。二三人の町の人が、そこに集っていた。
酒ものまず、花にも興味をもたない若主人と、お島は時々二人きりで炉端に坐っていた。病気が
癒
(
なお
)
るとも癒らぬともきまらずに、長いあいだ
生家
(
さと
)
へ帰っている若い妻の身のうえを、
独
(
ひとり
)
で案じわずろうているこの主人の
寝起
(
ねおき
)
の世話を、お島はこの頃自分ですることにしていた。