二十
婚礼
沙汰
(
ざた
)
が初まってから、毎日のように来ては養父母と
内密
(
ないしょ
)
で
談
(
はなし
)
をしていた青柳は、その当日も
手隙
(
てすき
)
を見てはやって来て、床の間に古風な島台を飾りつけたり、何処からか持って来た箱のなかから
鶴亀
(
つるかめ
)
の二幅対を取出して、懸けて
眺
(
なが
)
めたりしていた。
「今度と云う今度は島ちゃんも
遁出
(
にげだ
)
す
気遣
(
きづかい
)
はあるまい。
己
(
おれ
)
の弟は男が好いからね」青柳はそう言いながら、この二三日得意先まわりもしないでいるお島の顔を眺めた。青柳は
頭顱
(
あたま
)
の地がやや薄く透けてみえ、
明
(
あかる
)
みで見ると、
小鬢
(
こびん
)
に
白髪
(
しらが
)
も幾筋かちかちかしていたが、顔はてらてらして、張のある美しい目をしていた。弟はそれほど立派ではなかったが、
摺
(
す
)
った
揉
(
も
)
んだの揚句に、札がまたその男におちたと聞されたとき、お島は何となく晴がましいような気がせぬでもなかった。彼はその頃通いつつある工場の近くに下宿していて、兄の家にはいなかった。お島はこの正月以来その姿を見たこともなかった。一度自分に
附文
(
つけぶみ
)
などをしてから、妙に
疎々
(
うとうと
)
しくなっていたあの男が、婚礼の晩にどんな顔をして来るかと思うと、それが待遠しいようでもあり、不安なようでもあった。
その日は朝からお島は、気がそわそわしていた。そしてまだ夜露のじとじとしているような畠へ出て、根芋を掘ったきりで、何事にも外の働きはしなかった。畑にはもう刈残された
玉蜀黍
(
とうもろこし
)
や
黍
(
きび
)
に、ざわざわした秋風が渡って、
囀
(
さえず
)
りかわしてゆく渡鳥の群が、晴きった空を遠く飛んで行った。
午頃
(
ひるごろ
)
に
頭髪
(
かみ
)
が出来ると、自分が今婚礼の式を挙げようとしていることが、一層
分明
(
はっきり
)
して来る様であったが、その相手が、十三四の頃から
昵
(
なじ
)
んで、よく
揶揄
(
からか
)
われたり何かして来た気象の
剽軽
(
ひょうきん
)
な青柳の弟に当る男だと思うと、
更
(
あらたま
)
ったような気分にもなれなかった。おとらと三人でいる時でも、青柳はよくめきめき娘に成ってゆくお島の
姿形
(
すがたかたち
)
を眺めて、おとらに油断ができないと思わせるような
猥
(
みだら
)
な
辞
(
ことば
)
を浴せかけた。
作太郎はというと、彼も今日は一日一切の仕事を休ませられて、朝から床屋へいったり、湯に入ったりして
冶
(
めか
)
していた。そしてお島の顔さえみるとにこにこして、座敷へ入って、ごたごた積重ねられてある諸方からの祝の奉書包や目録を物珍らしそうに眺めていた。
頼んであった料理屋の板前が、車に今日の料理を積せて
曳込
(
ひきこ
)
んで来た頃には、
羽織袴
(
はおりはかま
)
の世話焼が、そっち行き
此方
(
こっち
)
いきして、家中が急に色めき立って来た。その中には、始終気遣わしげな顔をして、ひそひそ話をしている西田の老人もあった。
「今夜
遁出
(
にげだ
)
すようじゃ、お島さんも一生まごつきだぞ。何でも
可
(
い
)
いから、
己
(
おれ
)
に委して我慢をして......いいかえ」
箪笥に
倚
(
よ
)
りかかって、ぼんやりしているお島の姿を見つけると、老人は側へよって来て力をこめて言聴かせた。