二十三
その夜の
黎明
(
ひきあけ
)
に、お島が
酔潰
(
えいつぶ
)
れた作太郎の寝息を
候
(
うかが
)
って、そこを飛出した頃には、お
終
(
しまい
)
まで残ってつい今し方まで座敷で騒いで、ぐでぐでに疲れた若い人達も、もう寝静ってしまっていた。
お島は庭の井戸の水で、
白粉
(
おしろい
)
のはげかかった顔を洗いなどしてから、裏の
田圃道
(
たんぼみち
)
まで出て来たが、
濛靄
(
もや
)
の深い
木立際
(
こだちぎわ
)
の農家の土間から、
釜
(
かま
)
の下を
焚
(
た
)
きつける火の影が、ちょろちょろ見えたり、田圃へ出て行く人の寒そうな影が動いていたりした。じっとりした往来には、荷車の
軋
(
きし
)
みが静かなあたりに響いていた。
徹宵
(
よっぴて
)
眠られなかったお島は、熱病患者のように
熱
(
ほて
)
った
頬
(
ほお
)
を快い暁の風に
吹
(
ふか
)
れながら、野良道を急いだ。酒くさい作の顔や、ごつごつした手足が、まだ頬や体に
絡
(
まつ
)
わりついているようで、気味がわるかった。
王子の町近く来た時分には、もう日が高く昇っていた。そこにも
此処
(
ここ
)
にも
烟
(
けむり
)
が立って、目覚めた町の物音が、ごやごやと聞えていた。
「今時分はみんな起きて騒いでるだろうよ」お島はそう思いながら、
町垠
(
まちはずれ
)
にある姉の家の裏口の方へ近寄っていった。
山茶花
(
さざんか
)
などの枝葉の生茂った井戸端で、子供を
負
(
おぶ
)
いながら
襁褓
(
むつき
)
をすすいでいる姉の姿が、垣根のうちに見られた。花畠の方で、
手桶
(
ておけ
)
から
柄杓
(
ひしゃく
)
で水を汲んでは植木に水をくれているのは、以前
生家
(
さと
)
の方にいた姉の婿であった。水入らずで、二人で
恁
(
こう
)
して働いている姉夫婦の貧しい生活が、今朝のお島の混乱した
頭脳
(
あたま
)
には
可羨
(
うらやま
)
しく思われぬでもなかった。姉は自分から好きこのんで、貧しいこの植木職人と一緒になったのであった。畠には春になってから町へ持出さるべき梅や、松などがどっさり植つけられてあった。
旭
(
あさひ
)
が一面にきらきらと射していた。はね
釣瓶
(
つるべ
)
が、ぎーいと
緩
(
ゆる
)
い音を立てて動いていた。
「長くはいませんよ、ほんの一日か二日でいいから」お島はそう言って、姉に頼んだ。そして、いきなり洗いものに手を出して、水を汲みそそいだり、絞ったりした。
「そんな事をして好いのかい。どうせお
詫
(
わび
)
を入れて、
此方
(
こっち
)
から帰って行くことになるんだからね」姉は手ばしこく働くお島の様子を眺めながら、子供を
揺
(
ゆす
)
り揺り突立っていた。
「なに、そんな事があるもんですか。何といったって、私今度と云う今度は帰ってなんかやりませんよ」
お島は絞ったものを、片端から
日当
(
ひあたり
)
のいいところへ持っていって
棹
(
さお
)
にかけたりした。日光が
腫
(
は
)
れただれたように目に
沁込
(
しみこ
)
んで、頭痛がし出して来た。
「またお島ちゃんが逃げて来たんですよ」姉は
良人
(
おっと
)
に声かけた。
良人は
柄杓
(
ひしゃく
)
を持ったまま「へへ」と笑って、お島の顔を眺めていた。お島も
眩
(
まぶ
)
しい目をふいて笑っていた。