四十三
お島の姉が、暑い日盛に帽子も冠せない子供を、手かけに
負
(
おぶ
)
って、庭の方からまわって、おゆうを呼出しに来たとき、門のうちに張物をしていたお島と、自分の部屋の縁側で、髪を洗っていたおゆうを除いたほか、大抵の人は風通しの好さそうな場所を択んで、昼寝をしていた。房吉は時々出かけてゆく、近所の
釣堀
(
つりぼり
)
へ遊びに行っていたし、房吉の姉のお鈴は、小さい方の子供に、乳房を
啣
(
ふく
)
ませながら、
茶
(
ちゃ
)
の
室
(
ま
)
の方で、手枕をしながら、
乱次
(
だらし
)
なく眠っていた。家のなかは、どこも
彼処
(
かしこ
)
も長い日の暑熱に
倦
(
う
)
み疲れたような
懈
(
だる
)
さに浸っていた。
大輪の
向日葵
(
ひまわり
)
の、
萎
(
しお
)
れきって
項
(
うな
)
だれた
花畑尻
(
はなばじり
)
の垣根ぎわに、ひらひらする黒い
蝶
(
ちょう
)
の影などが見えて、
四下
(
あたり
)
は
汚点
(
しみ
)
のあるような日光が、強く
漲
(
みなぎ
)
っていた。
姉はおゆうと、五六分ばかり縁側で話をしていたが、やがて子供をそこへ
卸
(
おろ
)
して、
袂
(
たもと
)
で汗をふいていた。おゆうはまだ水気の取りきれぬ髪の
端
(
はじ
)
に、
紙片
(
かみきれ
)
を
捲
(
まき
)
つけて、それを垂らしたまま、あたふた家を出ていった。
「きっと鶴さんが来ているんだ」
お島はそう思うと、急に張物が手に着かなくなって、胸がいらいらして来た。
「姉さんも随分な人だよ」
お島はいきなり姉の側へ寄っていった。
「どうしてさ」姉は
這
(
は
)
っている子供に、乳房を出して見せながら、汗ばんだ顔を
赧
(
あから
)
めた。
「解ってますよ」
「
可笑
(
おかし
)
な人だね。解っていたら
可
(
い
)
いじゃないの」
「そんな事をしても可いんですか」
「いいも悪いもないじゃないか。感違いをしちゃ困りますよ」
二三度口留をしてから、姉の話すところによると、金の工面に行詰った鶴さんが、隠居や房吉に
内密
(
ないしょ
)
で、おゆうから
少
(
すこし
)
ばかり融通をしてもらうために、
私
(
そっ
)
と姉の家へやって来たのだと云うのであった。鶴さんが、そんなに困っているとは、お島には信ぜられないくらいであったが、姉の真顔で、それは事実であるらしく思えた。
「ふむ」お島は首を
傾
(
かし
)
げて、「じゃもう、あの店も駄目だね」
「そうなんでしょう。事によったら、田舎へ
行
(
い
)
くて言ってるわ」
「芸者を引張込むようじゃ、長続きはしないね。
散々
(
さんざ
)
好きなことをして、店を仕舞うがいいや」
お島は
自暴
(
やけ
)
に言いすてて、仕事の方へ帰って来たが、目が涙に曇っていた。せかせか出て行った今のおゆうの姿や、おゆうを待受けている鶴さんの、この頃の生活に
荒
(
すさ
)
みきった神経質な顔などが、目について来た。
暫く経って、帰って来たおゆうの顔には、鶴さんのためなら、何でも為かねないような浮いた大胆さと不安が見えていた。
おゆうの部屋を出て行く姉の手には、
小袖
(
こそで
)
を四五枚入れたほどの、ぼっとりした包みが提げられた。