四十八
そこにお島を落着かせてから、壮太郎が荷物運搬の
采配
(
さいはい
)
に、雨のなかを再び停車場へ出かけていってから、お島は晩の食事の支度に台所へ出たが、女がおりおり来ると見えて、
暫
(
しばら
)
く女中のいない男世帯としては、
戸棚
(
とだな
)
や
流元
(
ながしもと
)
が
綺麗
(
きれい
)
に取片着いていた。
壮太郎は、夜までかかって、車で二度に
搬
(
はこ
)
び込まれた植木類を、すっかり庭の方へ始末をしてから、お島にはどこへ往くとも告げずに、またふいと羽織や帽子を
被
(
き
)
て出て往ったが、お島はその晩裏から入って来た壮太郎が、何時頃帰ったかを知らないくらい疲れて熟睡した。
明朝
(
あした
)
目のさめたとき、水車の音が先ずお島の耳に着いた。お島はその音を聞きながら、寝床のなかにうとうとしていたが、今日から全く知らない土地に暮すのだと思うと、今まで憎み
怨
(
うら
)
んでいた東京の人達さえ
懐
(
なつか
)
しく思われた。
ここから
二停車場
(
ふたていしゃば
)
ほど先にある、或大きな
市
(
まち
)
へ流れて来て、そこで商売をしていた兄の女が、その頃二三里の山奥にある或鉱山の方に
係
(
かか
)
っている男に
落籍
(
ひか
)
されて、市とS――町との間にある
鉱山
(
やま
)
つづきの小さい町に、囲われていたことは、お島も東京を立つ前から
聴
(
きか
)
されていた。女がまだ商売をしている頃から、兄はその
市
(
まち
)
へ来て、何も
為
(
す
)
ることなしに、宿屋にごろついていたり、居周の温泉場に遊んでいたりしているうちに、土地の遊人仲間にも顔を知られて、おりおり勝負事などに手を出していた。女が今の男に
落籍
(
ひか
)
されてから、彼は
少
(
すこし
)
ばかりの
資本
(
もとで
)
をもらって、
※縁
(
つて
)
のあったこのS――町へ来て、植木に身を入れることになったのであった。
昼頃に雨があがってから、お島は壮太郎に連れられて、つい二三町ほど隔っている大家の家へ遊びに往った。そこはこの町の唯一の精米所でもあり、金持でもあった。大きな門を入ると、水車仕掛の大きな精米所が、直にお島の目についた。話声が聴取れないほど、
轟々
(
ごうごう
)
いう音がそこから起っていた。
「この米が
皆
(
みん
)
な
鉱山
(
やま
)
へ入るんだぜ」
壮太郎は、お島をその入口まで連れていって、言って聴せた。白くなって働いている男達と、壮太郎は暫く無駄話をしていた。
主人は
硝子戸
(
ガラスど
)
のはまった、明い事務室で、椅子に腰かけて、青い
巾
(
きれ
)
の張られた大きな
卓子
(
テーブル
)
に
倚
(
よっ
)
かかって、眼鏡をかけて、その日の新聞の相場づけに眼を通していたが、壮太郎の方へ笑顔を向けると、お島にも丁寧にお辞儀をした。柱の
状挿
(
じょうさし
)
には、
主
(
おも
)
に東京から入って来る手紙や電報が、
夥
(
おびだた
)
しく
挿
(
はさ
)
まれてあった。米屋町の旦那のような風をしたその主人を、お島は不思議そうに眺めていた。
「ここの庭さ、
己
(
おれ
)
が手を入れたというのは......」壮太郎は飛石伝いに、
築山
(
つきやま
)
がかりの庭へ出てゆくと、お島に話しかけたが、そこから上へ登ってゆくと、小さい公園ほどの広々した土地が、目の前に
展
(
ひら
)
けた。
「へえ、こんな暮しをしている人があるんですかね」
お島はそこから、築山のかかりや、
家建
(
やだち
)
の工合を見下しながら呟いた。
「ここへみっしり木を入れて、この町の公園にしようてえのが、あの人の
企劃
(
もくろみ
)
なんだがね。金のかかる仕事だから、少し景気が直ってからでないと......」
兄はそう言って、子供のためのグラウンドのような場所の
周
(
まわり
)
にある、木陰のベンチに腰をおろして、
莨
(
たばこ
)
をふかしはじめた。