四十九
直
(
じき
)
にお島は、ここの主人や
上
(
かみ
)
さんや、子供達とも懇意になったが、来た時から目についた、通りの方の浜屋と云う旅館の人達とも親しくなった。
旅館の方には、お島より二つ年下の娘の外に、里から来ている女中が三人ほどいたが、始終帳場に坐っている、色の小白い面長な
優男
(
やさおとこ
)
が、そこの主人であった。物堅そうなその主人は、
大
(
おおき
)
い声では物も言わないような、
温順
(
おとな
)
しい男であった。
山国のこの寂れた町に
涼気
(
すずけ
)
が立って来るにつれて、西北に
聳
(
そび
)
えている山の姿が、薄墨色の雲に
封
(
とざ
)
されているような日が続きがちであった。
鬱々
(
くさくさ
)
するような
降雨
(
あめふり
)
の日には、お島はよく浜屋へ湯をもらいに行って、
囲炉裏縁
(
いろりばた
)
へ上り込んで、娘に東京の話をして聞かせたり、立込んで来る客の前へ出たりした。
一家の
締
(
しまり
)
をしている、四十六七になった、ぶよぶよ肥りの上さんと、一日小まめに体を動かしづめでいる
老爺
(
おじい
)
さんとが、薄暗いその囲炉裏の側に、酒のお
燗番
(
かんばん
)
をしたり、女中の
指図
(
さしず
)
をしたりしていた。町の
旅籠
(
はたご
)
や料理屋へ
肴
(
さかな
)
を仕送っている
魚河岸
(
うおがし
)
の問屋の旦那が、仕切を取りに、東京からやって来て、二日も三日も、
新建
(
しんだち
)
の奥座敷に飲つづけていた。
精米所の主人が建ててくれたと云う、その新座敷へ、お島も時々入って見た。
糸柾
(
いとまさ
)
の
檜
(
ひのき
)
の柱や、
欄間
(
らんま
)
の彫刻や、極彩色の模様画のある大きな杉戸や、黒柿の
床框
(
とこがまち
)
などの出来ばえを、上さんは自慢そうに、お島に話して聞せた。
河岸の旦那の芸づくしをやっているその部屋を、お島も物珍しそうに
覗
(
のぞ
)
いてみた。それでも安お召などを引張った芸者や、古着か何かの
友禅縮緬
(
ゆうぜんちりめん
)
の
衣裳
(
いしょう
)
を来て、
斑
(
まだ
)
らに
白粉
(
おしろい
)
をぬった
半玉
(
はんぎょく
)
などが、
引断
(
ひっきり
)
なしに、部屋を出たり入ったりした。鼓や太鼓の音がのべつ陽気に聞えた。笛の巧いという、盲の男の師匠が、芸者に手をひかれて、廊下づたいに連れられて行った。
そこへ精米所の主人がやって来て、
炉縁
(
ろばた
)
に
胡坐
(
あぐら
)
をかくと、そこにごろりと寝転んでいたお爺さんは
直
(
じき
)
に奥へ引込んで行った。精米所の主人の前には、直に
銚子
(
ちょうし
)
がつけられて、上さんがお酌をしはじめた。
「あれを知らねえのかい。お前も
余程
(
よっぽど
)
間ぬけだな」
兄はその主人と上さんとの
間
(
なか
)
を、お島に言って聞せた。
「あの家も、精米所のお蔭で持っているのさ。だから爺さんも目をつぶって、見ているんだ」
兄はそうも言った。