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十四

 お島はもう大概水をくれて了ったのであったが、家へ入ってからの母親との 紛紜 ( いさくさ ) 気煩 ( きうるさ ) さに、 矢張 ( やっぱり ) 大きな如露をさげて、 其方 ( そっち ) こっち植木の根にそそいだり、 可也 ( かなり ) の距離から来る煤煙に汚れた 常磐木 ( ときわぎ ) の枝葉を払いなどしていたが、目が時々 入染 ( にじ ) んで来る涙に曇った。

「お島さん、どうも済んませんね」などと、仕事から帰って来た若いものが声をかけたりした。

「私はじっとしていられない性分だからね」とお島はくっきりと白い ( ほお ) のあたりへ垂れかかって来る髪を ( かき ) あげながら、 ( しげ ) みの間から晴やかな笑声を洩していたが、預けられてあった里から帰って来て、今の養家へもらわれて行くまでの短い月日のあいだに、母親から受けた 折檻 ( せっかん ) の苦しみが、 憶起 ( おもいおこ ) された。四つか五つの時分に、 焼火箸 ( やけひばし ) ( おし ) つけられた ( あと ) は、今でも丸々した手の甲の肉のうえに ( あざ ) のように残っている。父親に告口をしたのが憎らしいと云って、口を ( ) ねられたり、妹を ( いじ ) めたといっては、二三尺も積っている 脊戸 ( せど ) の雪のなかへ 小突出 ( こづきだ ) されて、息の ( つま ) るほどぎゅうぎゅう圧しつけられた。兄弟達に食物を ( ) けるとき、お島だけは傍に突立ったまま、物欲しそうに、黙ってみている様子が 太々 ( ふてぶて ) しいといって、何もくれなかったりした。 土掻 ( つちかき ) や、 木鋏 ( きばさみ ) や、 鋤鍬 ( すきくわ ) の仕舞われてある物置にお島はいつまでも、めそめそ泣いていて、日の暮にそのまま錠をおろされて、 地鞴 ( じだんだ ) ふんで泣立てたことも一度や二度ではなかったようである。

 父親は、その ( たんび ) に母親をなだめて、お島を ( ゆる ) してくれた。

「多勢子供も ( ) ってみたが、こんな 意地張 ( いじっぱり ) は一人もありゃしない」母親はお島を ( ひね ) りもつぶしたいような調子で父親と争った。

 お島は我子ばかりを ( いた ) わって、人の子を取って ( ) ったという 鬼子母神 ( きしぼじん ) が、自分の母親のような人であったろうと思った。母親はお島一人を除いては、どの子供にも同じような愛執を持っていた。

 日が暮れる頃に、お島は物置の始末をして、 ( やっ ) と夕飯に入って来たが、父親は ( むずか ) しい顔をして、いつか長火鉢の傍で ( ぜん ) に向って、お仕着せの晩酌をはじめているところであった。外はもう夜の色が 這拡 ( はいひろ ) がって、近所の牧場では牛の声などがしていた。往来の方で探偵ごっこをしていた子供達も、姿をかくして、空には柔かい星の影が春めいてみえた。

「まあ一月でも二月でも家においてやるがいい。奉公に出したって、もう一人前の女だ」父親はそんなことを言って、何かぶつくさ言っている母親を ( なだ ) めているらしかったが、お島は台所で、それを聞くともなしに、耳を立てながら、自分の食器などを取出していた。

「今に見ろ、目の飛出るようなことをしてやるから」お島はむらむらした母への反抗心を抑えながら、平気らしい顔をしてそこへ出て行った。 ( ) めて自分を養家へ口入した、西田と云う ( じい ) さんの ( ) っているような仕事に活動してみたいとも思った。その爺さんは、近頃陸軍へ馬糧などを納めて、めきめき家を大きくしていた。実直に働いて来た若いものにくれてやった姉などを、さも幸福らしく言たてる母親を、お島は苦々しく思っていたが、それにつけても、一生作などと婚礼するためには、養家の ( しきい ) ( また ) ぐまいと考えていた。食事をしている ( ) も、 昂奮 ( こうふん ) した 頭脳 ( あたま ) が、時々ぐらぐらするようであった。