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その百十五
 
 
 
 

 
 

その百十五

 細川家に勝久の招かれたのは、 相弟子 あいでし 勝秀 かつひで が紹介したのである。勝秀はかつて肥後国熊本までもこの家の人々に伴われて往ったことがあるそうである。勝久の はじめ て招かれたのは 今戸 いまど の別邸で、当日は 立三味線 たてさみせん が勝秀、外に 脇二人 わきににん 立唄 たてうた が勝久、外に脇唄二人、その他 鳴物 なりもの 連中で、 ことごと く女芸人であった。番組は「 勧進帳 かんじんちょう 」、「 吉原雀 よしわらすずめ 」、「 英執着獅子 はなぶさしゅうじゃくじし 」で、 すえ このみ として「 石橋 しゃっきょう 」を演じた。
 細川家の当主は 慶順 よしゆき であっただろう。勝久が部屋へ さが っていると、そこへ津軽侯が来て、「渋江の むすめ くが がいるということだから逢いに来たよ」といった。 つれ の女らは皆驚いた。津軽 承昭 つぐてる は主人慶順の弟であるから、その日の客になって、来ていたのであろう。
 長唄が おわ ってから、主客打交っての能があって、女芸人らは陪観を許された。津軽侯は「 船弁慶 ふなべんけい 」を舞った。勝久を細川家に 介致 かいち した勝秀は、今は 亡人 なきひと である。
 津軽家へは細川別邸で主公に謁見したのが縁となって、渋江陸としてしばしば召されることになった。いつも ひとり 往って弾きもし歌いもすることになっている。老女 歌野 うたの 、お部屋おたつの人々が 馴染 なじみ になって、陸を引き廻してくれるのである。
 稲葉家へは師匠勝三郎が存命中に初て連れて往った。その邸は青山だというから、 豊後国 ぶんごのくに 臼杵 うすき の稲葉家で、当時の主公 久通 ひさみち に麻布 土器町 かわらけちょう の下屋敷へ招かれたのであろう。連中は男女交りであった。立三味線は勝三郎、脇勝秀、 立唄 たてうた 坂田仙八 さかたせんぱち 、脇勝久で、皆稲葉家の 名指 なざし であった。仙人は 亡人 なきひと で、今の勝五郎、前名勝四郎の父である。番組は「 鶴亀 つるかめ 」、「 初時雨 はつしぐれ 」、「 喜撰 きせん 」で、末に このみ として勝三郎と仙八とが「 狸囃 たぬきばやし 」を演じた。
 演奏が おわ ってから、勝三郎らは花園を ることを許された。 その はなは だ広く、珍奇な 花卉 かき が多かった。園を過ぎて 菜圃 さいほ ると、その かたわら 竹藪 たけやぶ があって、 たけのこ むらが り生じていた。主公が芸人らに、「お前たちが自分で抜いただけは、何本でも持って帰って いから勝手に抜け」といった。男女の芸人が争って抜いた。中には筍が けると共に、 尻餅 しりもち くものもあった。主公はこれを見て興に った。筍の周囲の土は、 あらかじ め掘り起して、 ゆる めた のち にまた き寄せてあったそうである。それでも芸人らは 容易 たやす く抜くことを得なかった。 家苞 いえづと には筍を多く賜わった。抜かぬ人もその数には れなかった。
 前田家、伊達家、牧野家、小笠原家、黒田家、本多家へも次第に呼ばれることになった。初て往った頃は、前田家が宰相 慶寧 よしやす 、伊達家が亀三郎、牧野家が 金丸 かなまる 、小笠原家が 豊千代丸 とよちよまる 、黒田家が少将 慶賛 よしすけ 、本多家が 主膳正 しゅぜんのかみ 康穣 やすしげ の時であっただろう。しかしわたくしは維新後における 華冑 かちゅう 家世 かせい の事に くわ しくないから、もし 誤謬 ごびゅう があったら正してもらいたい。
 勝久は看板を懸けてから四年目、明治十年四月三日に、両国中村楼で 名弘 なびろ めの 大浚 おおざらい を催した。 浚場 さらいば 間口 まぐち の天幕は深川の五本松門弟 じゅう 後幕 うしろまく 魚河岸問屋 うおがしどいや 今和 いまわ と緑町門弟中、 水引 みずひき は牧野家であった。その外家元門弟中より紅白 縮緬 ちりめん の天幕、 杵勝名取 きねかつなとり 男女中より 縹色絹 はないろぎぬ の後幕、勝久門下名取女 じゅう より 中形 ちゅうがた 縮緬の 大額 おおがく 親密連 しんみつれん 女名取より 茶緞子 ちゃどんす 丸帯の 掛地 かけじ 木場贔屓 きばひいき 中より白縮緬の水引が贈られた。役者はおもいおもいの意匠を こら したびらを寄せた。縁故のある華族の 諸家 しょけ は皆金品を おく って、中には老女を つかわ したものもあった。勝久が三十一歳の時の事である。