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三十六

人身を享けて あすの日の
何をもたらすと 測るなかれ
また營耀の 人を見て
いく時か かくあらむとも。
世のうつろひの 迅やかなる
翔ひろの 蜻蛉のあしも
かくはあらじ。

 一週間ほどして、加野から、ゆき子の見舞ひをよろこんだ手紙の末尾に、こんな詩のやうな文句が書いてあつた。世のうつろひの迅やかなると云ふ一節が、ゆき子の心に燒きついてきた。病の絶望の底に到つて、自嘲めいたこの言葉が、いまの加野の一切なのだと、ゆき子は加野へ對して、同情しないではゐられなかつたが、現實に逢つた加野へ對しては、もう何一つ惹かされるものはない。佛印での一切はもうみんな、世のうつろひの迅やかなるであらうか。ゆき子は返事を出さなかつた。

 その後、富岡からは何のたよりもなかつた。二人で死ぬつもりで、伊香保へ行つた事も、いまでは遠い過去のやうな氣がして來た。あの時に死んでゐたら、今日の日は迎へられなかつたのだが、生きてゐる事も、ゆき子にとつてはどうでもいゝのであつた。富岡に死なうと打ちあけられた時、何故、あんなに妙な臆病さになつたのかゞ不思議である。

 篠原春子に逢つた事も、ゆき子の心のなかには少しも刺戟にはならなかつた。自己自身を食ひ盡してしまつてゐるやうな空虚さで、ゆき子は、何をする氣持ちはなかつたが、何時までもぶらぶらしてゐるわけにはゆかない。それに、ゆき子は、此の物置小舍も、近々に立ち退いてくれるやうに、家主から云ひ渡されてゐたのだ。ふつとまた死の豫感がした。富岡の、あの時の氣持ちは、嘘ではなかつたやうに思へた。何故一緒にあの場で死んでしまはなかつたのだらう。‥‥いまでは死神がとつゝいてゐるやうな氣もしてくる。寢轉んで細い革のバンドを首にあてゝみたが、自分の力だけでは締める自信はない。或るところまで、強く首を締めあげてみたが、それを一歩通り越すまでの激しさには到らないのだ。ゆき子は、革のバンドを外づして、それを腰に卷いた。いま、この場に富岡がゐてくれたらどんなにいゝだらうと思つた。富岡の姿が無性になつかしくてならない。いつたい死ぬと云ふ事は、自分が此の世から過ぎ去つてしまふだけのものなのだらうか‥‥。誰も、月日がたてば、自分の死んだ事なぞかまつてはくれないだらうし、富岡にしても、何時かは自分の事なぞは忘れ去つてしまふにきまつてゐる。あの時を外づしてしまつた事が、ゆき子には殘念でもあつた。初めに逢つた時が本當のお互ひだと云ふ佛印の歌の文句のやうに、伊香保の宿で、富岡が、じいつと思ひをこらしてゐたあの氣持ちに、應へられなかつた心の感じかたを、ゆき子は今になつて口惜しくなつた。その癖、ゆき子は、世の中や、男に對して、信用してしまふ自信をなくしてしまつてゐるのだ。二人が、情死をしたところで、うまく、氣合ひのあつた死に方は出來なかつたに違ひない。死のまぎはまで、二人は別々の事を肚のなかでは考へてゐるに相違ないのだ。ゆき子には、それが厭だつたのだ。たとへ、自分は、何も考へてないとしても、富岡は、息をつめる最後に到つて、妻よ許せなぞと唸り出しはしないかと、ゆき子はうたぐつてゐるのだ。人間は心のなかまではどうにも自由にするわけにはゆかない。一時の暗さを通り過ぎた以上は、二人にとつて、陽氣な人生への希望を思ひ起させるのは必定なのである。富岡は、捨て場のない氣持ちで、おせいに涙を流させる仕儀に到つたのではないかと、ゆき子はうたがひ深く考へてみるのだ。

 富岡との交渉はこれで、一應はピリオドを打つてしまつたと云つてもいゝ。現に、富岡は、伊香保から戻つて以來、何の音沙汰もないのだ。現實の世界では、生きた人間同志で、お互ひを理解すると云ふ事は、どんなに激しい戀愛の火中にあつても、むづかしいのであらう。微妙な虹が、人間の心の奥底には現はれては消え、現はれては消えてゆくものなのであらう。そこをもどかしがつて、人間は笑つたり泣いたりしてゐるだけのやうにも考へられた。人間は、さうした生きものなのであらう。ゆき子は、富岡に逢ひたかつた。ちやんと、富岡とのきづなが判つてゐながら、佛印での二人の思ひ出は何といつても生涯のうちでの大きな出來事なのである。この戰爭は、ゆき子にとつては生涯忘れる事が出來ないのだ。あの時は、本當に幸福だつた。‥‥兵隊のみんなが、生死をかけて戰つてゐる時に、ゆき子だけは、富岡と不思議な戀にとりつかれてゐたのだから。

 ツウランの驛から、縱貫鐵道で、サイゴンへ向ふ車中での、一つの運命が、ゆき子を、富岡へめぐりあはせたのであらうか。時速四二キロの直通列車で、ゆき子は、自分一人だけ皆と別れてしまふ淋しさを考へてゐた。篠原春子は陽氣に歌つたりしてゐた。その汽車に、やがて、ゆき子は富岡と乘る事があらうなぞとは考へもしなかつたのだ。あれはいつだつたかしら、春だつたか、夏だつたか、季節の變化のないところなので、思ひ出のなかに月日の念が薄れてしまつてゐる。車中で、富岡が、ゆき子の手を握り、人目につかないかくしかたで、車窓に乘り出すやうなかつかうで、走り去る疎林を指差し、あすこはベンベン、サオ、ヤウ、コンライ、バンバラと教へてくれた。疎林は落葉し、林床には野火の跡があり、線路近くまで延燒して來てゐた。凄んだ林野も瞼に浮ぶ。そのなかを、時々、おそろしくこんもりした密林があり、棕梠竹や下草が密生して、いはゆるジャングルの状を示してゐる處もあつた。そのジャングルのまはりを、パラと云ふ椰子の一種が、巨大な掌状葉を擴げてゐるのが、ゆき子には印象的だつた。

 あゝ、もう、あの景色のすべては、暗い過去へ消えて行つてしまつたのだ‥‥。もう一度、呼び戻す事の出來ない、過去の冥府の底へかき消えてしまつたのだ。貧弱な生活しか知らない日本人の自分にとつては、あの背景の豪華さは、何とも素晴しいものであつたのだ。ゆき子は、さうした背景の前で演じられた、富岡と、自分との戀のトラブルをなつかしくしびれるやうな思ひで夢見てゐる。悠々とした景色のなかに、戰爭と云ふ大芝居も含まれてゐた。その風景のなかにレースのやうな淡さで、佛蘭西人はひそかにのんびりと暮してゐたし、安南人は、夜になると、坂の街を、ボンソアと呼びあつてゐたものだ。ボンソアの聲が耳底から離れない。自然と人間がたはむれない筈はないのだ。湖水、教會堂、凄艶な緋寒桜、爆竹の音、むせるやうな高原の匂ひ、ゆき子は瞼に佛印の景觀を浮べ、郷愁にかられてゆくと、くつくつとせぐりあげるやうに涙を流してゐた。もう一度、あの場所が戀しいのだ。こんな貧しい生き方は息苦しい。ダラットの生活は、もう再びやつては來ないと思ふにつけ、富岡の皮膚の感觸がたまらなく戀しかつた。贅澤さは美しいものだと云ふ事も知つた。ランビァン高原の佛蘭西人の住宅からもれる、人の聲や音樂、色彩や匂ひが、高價な香水のやうに、くうつと、ゆき子の心を掠めた。林檎の唄や、雨のブルースのやうな貧弱な環境ではないのだ。のびのびとして、歴史の流れにゆつくり腰をすゑてゐる民族の力強さが、ゆき子には根深いものだと思へた。何も知らないとは云へ、教養のない貧しい民族ほど戰爭好きなものはないやうに考へられる。此の地球の上に、あのやうな樂園がちやんとある事を、日本人の誰もが知らないのであらう‥‥。贅澤は敵だと云ふ、戰爭中のスローガンを思ひ出したが、贅澤が敵であつてたまるものではないのだ。五月から十月へかけての雨期をさけて、佛蘭西人がりくぞくとランビァン高原の街へやつて來た。あの生活のヱンジョイの仕方が、終戰になつた現在では、もつと美しく、もつと華々しく展開されてゐるに違ひない。サイゴンから二百五十キロのランビァンの高原は、さながら油繪のやうに美しかつたものだ。ランビァンの素晴しいホテルや、別莊住ひが出來ないものにも、河内近くのタムダオや、ビンや、ナベの高原に佛蘭西人はりくぞくとやつて來てゐた。戰爭の話なぞには何の興味もない、自分達の生活を愉しんでゐたものである。ランビァンの野山は、佛蘭西人にとつては、絶好の狩獵地でもあつた。ゆき子は、富岡との散歩で、よく狩獵家の自動車隊に行きあつたものであつた。

 他人を見る眼のとげとげしさに訓練させられてゐる日本人の生活の暗さが、ランビァンの樂園にゐる時は、何とも不思議な人種に見えて、ゆき子は、生涯をランビァンに暮すつもりで、日本の遠さを、心のうちではよその民族を見るやうな思ひでもゐた。