University of Virginia Library

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三十九
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三十九

 例の、その幻の雨とは悟ったものの、見す見すひやりとして濡るるのは、笠なしに山寺から豆腐買いに里へ られた、小僧の時より辛いので、 たま りかねて、蚊帳の裾を 引被 ひっかつ いで出たが、さてどこを 居所 いどころ とも定まらぬ一夜の宿。

 消えなんとする 旅籠屋 はたごや 行燈 かんばん を、時雨の軒に便る心で。

 僧は

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[18]
灯燈 ともしび もと 膝行 いざ り寄った。

  寝衣 ねまき を見ると、どこも露ほども濡れてはおらぬ。まず頬のあたりから腕を こうとしたほどだったのに……もとより寝床に雨垂の音は無い。

 その腕を長く、つき反らして さす りながら、

衆怨悉退散 しゅうおんしったいさん 。」

 とまた念じて、 じっ と心を沈めると、この功徳か、蚊の声が無くなって、 しん として静まり返る。

 また余りの しずか さに、自分の 身体 からだ が消えてしまいはせぬか、という懸念がし出して、 押瞑 おしつぶ った目を夢から覚めたように 恍惚 うっとり と、しかも つぶら に開けて、 真直 まっすぐ な燈心を 視透 みす かした時であった。

  飜然 ひらり と映って、 行燈 あんどう へ、中から透いて影がさしたのを、女の手ほどの おおき 蜘蛛 くも 、と 咄嗟 とっさ に首を すく めたが、あらず、 あら ず、柱に触って、やがて 油壺 あぶらつぼ の前へこぼれたのは、 の葉であった、 青楓 あおかえで の。

 僧は思わず手で拾った。がそのまさしく木の葉であるや、しからずや、確かめようとしたのか、どうか、それは かれ にも分りはせぬ。

 ト続いて、 さっ と影がさして、 横繁吹 よこしぶき に乗ったようにさらりと落ちる。

 我にもあらず、またもやそれを拾った時、 せん のを、

「一枚、」

 と思わず かぞ えた。

「二枚、」

 とあとを数え果さず、三枚目のは、貝ほどの けやき の葉で、ひらひらと ともしび かす めて来た、影が おおき い。

「三枚、」

 と口の うち つぶや くと、早や四枚目が、ばさばさと行燈の紙に さわ った。

「四枚、五枚、六枚、七枚、」

 と数える内に、拾い上げた膝の上は、早や隙間なく落葉に埋もるる。

 空を仰ぐと、天井は底がなく、 暗夜 やみ 深山 みやま にある心地。

 おお、この森を峠にして、こんな晩、中空を越す 通魔 とおりま が、魔王に、はたと捧ぐる、関所の 通証券 とおりてがた であろうも知れぬ。膝を払って と立って、木の葉のはらはらと揺れるに連れて、ぶるぶると かれ は身震いした。

「えへん!」

 と 揉潰 もみつぶ されたような かす れた せき して、何かに目を転じて、心を移そうとしたが、風呂敷包の、御経を取出す間も遅し。さすがに心着いたのは、障子に四五枚、かりそめに った半紙である。

 これはここへ来てからの、心覚えの 童謡 わらわうた を、明が書留めて 朝夕 ちょうせき に且つ吟じ且つ なが むるものだ、と宵に聞いた。

 立ったままに寄って見ると、 真先 まっさき に目に着いたのが濃い墨で、

落葉一枚、

 僧は更に 悚然 ぞっ とした。

落葉一枚、
二枚、三枚、
とお とかさねて、
落葉の数も、
ついて落いた君の年、
      君の年――

 振返ると、まだそこに、掃掛けて したように、 あお きが黒く 散々 ちりぢり である。

懐かしや、花の 常夏 とこなつ
霞川に影が流れた。
その おもかげ や、俤や――

 紙を通して障子の 彼方 かなた に、ほの白いその俤が……どうやら いて見えるようで、固くなった耳の底で、天の高さ、地の厚さを、あらん限り、深く、 はるか に、星の座も、竜宮の ともしび 同一 おなじ 遠さ、と思う あたり 黄金 こがね の鈴を振るごとく、ただ 一声 こえ 、コロリン、と琴が響いた。

 はっと半紙を見ると、瞳へチラリ。

コロリン!

 と字が動いたよう。続けて――

琴の音が…………

 と記してあった。