University of Virginia Library

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三十

「叔母がつくづく意見をしました。(はじめから 彼家 あすこ くと聞いたら るのじゃなかった――黙っておいでだから何にも知らずに悪い事をしたよ。さきじゃ 幼馴染 おさななじみ だと思います、手毬唄を聞くなぞ、となおよくない、そんな事が世間へ通るかい、)とこうです。

 母親の友達を尋ねるに、色気の嫌疑はおかしい、と聞いて見ると、 なあに 、女の はませています、それに あか 手絡 てがら で、美しい髪なぞ結って、 かたち づくっているから い姉さんだ、と 幼心 おさなごころ に思ったのが、二つ違い、一つ上、亡くなったのが二つ上で、その奥さんは一ツ上のだそうで、行方の知れないのは、分らないそうでした。

 事が面倒になりましてね、その夫人の親里から、叔母の家へ 使 つかい が来て、娘御は何も唄なんか御存じないそうで、ええ、世間体がございますから以来は、と苦り切って帰りました。

 勿論病気でも何でもなかったそうです。

 一月ばかり って、細かに、いろいろと手毬唄、子守唄、 わらべ 唄なんぞ、百幾つというもの、綺麗に美しく、 細々 こまごま とかいた、文が来ました。

 しまいへ、 べに で、

――嫁入りの 果敢 はか なさを唄いしが唄の中にも沢山におわしまし候――

 と、だけ記してありました。……

  唯今 ただいま も大切にして持ってはいますが、勿論、その中に、私の望みの、母の声のはありません。

 さあ、もう一人……行方の知れない方ですが……

 またこれが 貴僧 あなた 、家を越したとか、遠国へ行ったとかいうのなら、いくらか手懸りもあるし、何の不思議もないのですが、俗に申します、神がくしに逢ったんで、叔母はじめ固くそう信じております。

 名は 菖蒲 あやめ と言いました。

 一体その娘の家は、 母娘 おやこ 二人、どっちの乳母か、 ばあ さんが一人、と 母子 おやこ だけのしもた屋で、しかし立派な 住居 すまい でした。その 母親 おふくろ というのは、私は 小児 こども 心に、ただ歯を染めていたのと、鼻筋の通った、こう面長な、そして帯の 結目 むすびめ を長く、 下襲 したがさね か、 蹴出 けだ しか、 つま をぞろりと着崩して、日の暮方には、時々薄暗い かど に立って、町から見えます、山の方を なが めては 悄然 しょんぼり たたず んでいたのだけ かすか に覚えているんですが、人の めかけ だとも云うし、本妻だとも云う、どこかの藩候の 落胤 おとしだね だとも云って、ちっとも素性が分りません。

 娘は、別に かわ ったこともありませんが、 容色 きりょう は三人の うち で一番 かった――そう思うと、今でも 目前 めさき に見えますが。

 その娘です、 余所 よそ へは遊びに来ましたけれど、誰も友達を、自分の内へ連れて行った事はありませんでした。

 寄合って、 遊事 あそびごと を。これからおもしろくなろうという時、不意に おっか さんがお呼びだ、とその媼さんが出て来て 引張 ひっぱ って帰ることが度々で、急に居なくなる、跡の寂しさと云ったらありません。―― せん の内は、自分でもいやいや 引立 ひった てられるようにして帰り帰りしたものですが、一ツは人の とこ へ自分は来て、我が うち へ誰も呼ばない、という遠慮か、妙な時ふと立っちゃ、 ひとり で帰ってしまうことがいくらもあったんです。

 ですから何だかその娘ばかりは、思うように遊べない、勝手に誘われない、自由にはならない処から、遠いが花の香とか云います。余計に私なんざ なつかし くって、( あや ちゃんお遊びな)が言えないから、合図の石をかちかち叩いては、その家の前を通ったもんでした。

 それが 一晩 あるばん 、真夜中に、十畳の座敷を閉め切ったままで、どこかへ姿をかくしたそうで。

  うし 年の事だから、と私が唄を聞きたさに、尋ねた時分……今から何年前だろう、と叔母が指を折りましたっけ…… 多年 しばらく になりますが。」