草迷宮 泉鏡花 (Kusameikyu) | ||
二十三
「どたん、ばたん、 豪 ( えら ) い騒ぎ。その立騒ぐのに連れて、むくむくむくむく、と畳を、 貴僧 ( あなた ) 、四隅から持上げますが、二隅ずつ、どん、どん、順に十畳敷を 一時 ( いっとき ) に十ウ、下から握拳を突出すようです。それ毛だらけだ、わあ女の腕だなんて言いますが、何、その畳の隅が裏返るように目まぐるしく 飜 ( かえ ) るんです。
もうそうなると、気の 上 ( あが ) った 各自 ( てんで ) が、自分の手足で、茶碗を 蹴飛 ( けと ) ばす、 徳利 ( とっくり ) を踏倒す、 海嘯 ( つなみ ) だ、と 喚 ( わめ ) きましょう。
その立廻りで、何かの拍子にゃ怪我もします、踏切ったくらいでも、ものがものですから、片足切られたほどに思って、それがために寝ついたのもあるんだそうで。漁師だとか言いましたっけ。一人、わざわざ山越えで浜の方から来たんだって、 怪物 ( ばけもの ) に負けない 禁厭 ( まじない ) だ、と
※ ( えい ) の針を 顱鉄 ( はちがね ) がわりに、 手拭 ( てぬぐい ) に畳込んで、うしろ 顱巻 ( はちまき ) なんぞして、非常な 勢 ( いきおい ) だったんですが、 猪口 ( ちょこ ) の 欠 ( かけ ) の踏抜きで、 痛 ( いたみ ) が 甚 ( ひど ) い、お 祟 ( たたり ) だ、と人に 負 ( おぶ ) さって帰りました。その立廻りですもの。 灯 ( あかり ) が危いから 傍 ( わき ) へ 退 ( の ) いて、私はそのたびに 洋燈 ( ランプ ) を 圧 ( おさ ) え圧えしたんですがね。
坐ってる人が、ほんとに 転覆 ( ひっくりかえ ) るほど、 根太 ( ねだ ) から揺れるのでない証拠には、私が気を着けています 洋燈 ( ランプ ) は、躍りはためくその畳の上でも、 静 ( じっ ) として、ちっとも動きはせんのです。
しかしまた洋燈ばかりが、笠から始めて、ぐるぐると廻った事がありました。やがて 貴僧 ( あなた ) 、 風車 ( かざぐるま ) のように舞う、その癖、場所は変らないので、あれあれと云う内に火が 真丸 ( まんまる ) になる、と見ている内、白くなって、それに 蒼味 ( あおみ ) がさして、 茫 ( ぼう ) として、 熟 ( じっ ) と 据 ( すわ ) る、その 厭 ( いや ) な光ったら。
映る手なんざ、水へ 突込 ( つッこ ) んでるように、 畝 ( うね ) ったこの筋までが蒼白く透通って、 各自 ( てんで ) の顔は、 皆 ( みんな ) その熟した 真桑瓜 ( まくわうり ) に目鼻がついたように黄色くなったのを、見合せて、 呼吸 ( いき ) を詰める、とふわふわと浮いて出て、その晩の座がしらという、一番強がった男の膝へ、ふッと乗ったことがあるんですね。
わッと云うから、騒いじゃ怪我をしますよ、と私が暗い中で声を掛けたのに、 猫化 ( ねこばけ ) だ 遣 ( やっ ) つけろ、と誰だか一人、庭へ飛出して 遁 ( に ) げながら 喚 ( わめ ) いた者がある。畜生、と怒鳴って、貴僧、危いの何のじゃない!
※ ( ぱっ ) と 明 ( あかる ) くなって 旧 ( もと ) の 通 ( とおり ) 洋燈が見えると、その膝に乗られた男が――こりゃ何です、 可 ( い ) い加減な年配でした――かつて水兵をした事があるとか云って、かねて用意をしたものらしい、ドギドギする 小刀 ( ナイフ ) を、 火屋 ( ほや ) の中から縦に突刺してるじゃありませんか。」
「大変で、はあ、はあ、」
「ト思うと一 呼吸 ( いき ) に、油壺をかけて 突壊 ( つきこわ ) したもんだから、流れるような石油で、どうも、後二日ばかり弱りました。
その時は幸に、当人、手に 疵 ( きず ) をつけただけ、 勢 ( いきおい ) で壊したから、火はそれなり、ばったり消えて、何の事もありませんでしたが、もしやの時と、 皆 ( みんな ) が心掛けておきました、 蝋燭 ( ろうそく ) を 点 ( つ ) けて、跡始末に 掛 ( かか ) ると、さあ、 可訝 ( おかし ) いのは、今の、怪我で取落した 小刀 ( ナイフ ) が影も見えないではありませんか。
驚きました。これにゃ、 皆 ( みんな ) が 貴僧 ( あなた ) 、 茶釜 ( ちゃがま ) の中へ紛れ込んで 祟 ( たた ) るとか俗に言う、あの 蜥蜴 ( とかげ ) の 尻尾 ( しっぽ ) の切れたのが、行方知れずになったより 余程 ( よっぽど ) 厭な紛失もの。襟へ入っていはしないか、むずむずするの、 褌 ( ふんどし ) へささっちゃおらんか、ひやりとするの、 袂 ( たもと ) か、 裾 ( すそ ) か、と立つ、坐る、帯を解きます。
前にも一度、大掃除の検査に、 階子 ( はしご ) をさして天井へ上った、 警官 ( おまわり ) さんの 洋剣 ( サアベル ) が、何かの拍子に 倒 ( さかさま ) になって、 鍔元 ( つばもと ) が緩んでいたか、すっと 抜出 ( ぬけだ ) したために、下に居たものが一人、切られた事がある座敷だそうで。
外のものとは違う。 切物 ( きれもの ) は危い、よく探さっしゃい、針を使ってさえ始める時と 了 ( しま ) う時には、ちゃんと数を合わせるものだ。それでもよく紛失するが、畳の目にこぼれた針は、奈落へ落ちて地獄の山の草に生える。で、餓鬼が突刺される。その供養のために、毎年六月の一日は、 氷室 ( ひむろ ) の 朔日 ( ついたち ) と云って、 少 ( わか ) い娘が娘同士、自分で 小鍋立 ( こなべだ ) ての 飯 ( まま ) ごとをして、客にも呼ばれ、呼びもしたものだに、あのギラギラした 小刀 ( ナイフ ) が、縁の下か、天井か、 承塵 ( なげし ) の途中か、 在所 ( ありどころ ) が知れぬ、とあっては済まぬ。これだけは 夜一夜 ( よっぴて ) さがせ、と中に居た、酒のみの年寄が苦り切ったので、総立ちになりました。
これは、私だって気味が悪かったんです。」
僧はただ目で 応 ( こた ) え、目で 頷 ( うなず ) く。
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