草迷宮 泉鏡花 (Kusameikyu) | ||
三十三
「何、 私 ( わし ) がうわさしていさっせえた処だって……はあ、お 前様 ( めえさま ) 二人でかね。」
どッこいしょ、と立ったまま、広縁が高いから、 背負 ( しょ ) って来た風呂敷包は、腰ぎりにちょうど乗る。
「だら、 可 ( い ) いけんども、」
と 結目 ( むすびめ ) を 解下 ( ときお ) ろして、
「天井裏でうわさべいされちゃ 堪 ( たま ) んねえだ。」
と声を 密 ( ひそ ) めたが、宰八は直ぐ高調子、
「いんね、 私 ( わし ) 一人じゃござりましねえ。喜十郎様が 許 ( とこ ) の仁右衛門の 苦虫 ( にがむし ) と、学校の先生ちゅが、同士にはい、 門前 ( もんまえ ) まで来っけえがの。
あの、樹の下の、暗え中へ頭 突込 ( つッこ ) んだと思わっせえまし、お前様、苦虫の 親仁 ( おやじ ) が 年効 ( としがい ) もねえ、 新造子 ( しんぞっこ ) が抱着かれたように、キャアと云うだ。」
「どうしたんです。」
「何かまた、」
と、僧も夜具包の上から伸上って顔を出した。
宰八 紅顱巻 ( あかはちまき ) をかなぐって、
「こりゃ、はい、御坊様御免なせえまし。御本家からも 宜 ( よろ ) しくでござりやす。いずれ喜十郎様お目に 懸 ( かか ) りますだが、まず 緩 ( ゆっく ) りと休まっしゃりましとよ。
私 ( わし ) こういうぞんざいもんだで、お辞儀の仕様もねえ。婆様がよッくハイ御挨拶しろと云うてね、お前様 旨 ( うま ) がらしっけえ、団子をことづけて 寄越 ( よこ ) しやした。 茶受 ( ちゃうけ ) にさっしゃりやし。あとで私が蚊いぶしを才覚しながら、ぶつぶつ渋茶を煮立てますべい。
それよりか、お前様、腹アすかっしゃったろうと思うで、御本家からまた重詰めにして寄越さしった、そいつをぶら下げながら苦虫が、右のお前様、キャアでけつかる。
門外の草原を、まるで川の瀬さ渡るように、三人がふらふらよちよち、モノ小半時かかったが、芸もねえ、えら遅くなって済まんしねえ。」
「何とも御苦労、」
と僧は 慇懃 ( いんぎん ) に 頭 ( つむり ) をさげる。
「その人たちは、どうしたのかね。」
と明が尋ねた。
「はい、それさ、そのキャアだから、お前様、どうした仁右衛門と、云うと、苦虫が、 面 ( つら ) さ渋くして、(ああ、 厭 ( いや ) なものを見た。おらが鼻の 尖 ( さき ) を、ひいらひいら、あの 生白 ( なまちら ) けた芋の葉の 長面 ( ながづら ) が、ニタニタ笑えながら横に飛んだ。精霊棚の 瓢箪 ( ひょうたん ) が、ひとりでにぽたりと落ちても、御先祖の 戒 ( いましめ ) とは思わねえで、酒も 留 ( や ) めねえ 己 ( おら ) だけんど、それにゃ 蔓 ( つる ) が枯れたちゅう道理がある。風もねえに芋の葉が宙を 歩行 ( ある ) くわけはねえ。ああ、厭だ、総毛立つ、内へ帰って夜具を 被 ( かぶ ) って、ずッしり汗でも取らねえでは、煩いそうに頭も重い。)
と 縮 ( すく ) むだね。
例 ( いつも ) の 小児 ( こども ) が駆出したろう、とそう言うと、なお悪い。あの声を聞くと 堪 ( たま ) らねえ。あれ、あれ、石を鳴らすのが、 谷戸 ( やと ) に響く。時刻も七ツじゃ、と 蒼 ( あお ) くなって、風呂敷包 打置 ( ぶちお ) いて、ひょろひょろ帰るだ。
先生様、ではお前様、その重箱を提げてくれさっせえ、と 私 ( わし ) が頼むとね。
(厭だ、)と云っけい。
(はてね、なぜでがす。)
ここさ、お客様の 前 ( めえ ) だけんど、気にかけて下せえますなよ。
(軍歌でもやるならまだの事、子守や手毬唄なんかひねくる様な 奴 ( やつ ) の、弁当持って堪るものか。)
と 吐 ( こ ) くでねえか。
奴は 朋友 ( ともだち ) に聞いた、と云うだが、いずれ 怪物 ( ばけもの ) 退治に来た連中からだんべい。
お客様何でがすか、お前様、子守唄 拵 ( こさ ) えさっしゃるかね。袋戸棚の障子へ、書いたもの 貼 ( は ) っとかっしゃるのは、もの、それかね。」
明は恥じたる色があった。
「こしらえるのじゃない、聞いたのを書き留めて置くんです。数があって忘れるから、」
「はあ、 私 ( わし ) はまた、こんな 恐怖 ( おっかね ) え 処 ( とこ ) に落着いていさっしゃるお前様だ。
怨敵 ( おんてき ) 退散の 貼御符 ( はりごふう ) かと思ったが。
何か、ハイ、わけは 分 ( わか ) ンねえがね、悪く言ったのがグッと 癪 ( しゃく ) に 障 ( さわ ) ったで、
(なら 可 ( よ ) うがす、客人のものは持ってもれえますめえ、が、お前様、学校の先生様だ。 可 ( よ ) し、私あハイ、何も教えちゃもらわねえだで、師匠じゃねえ、同士に 歩行 ( ある ) くだら 朋達 ( ともだち ) だっぺい。蟹の宰八が手ンぼうの助力さっせえ。)
と 極 ( き ) めつけたさ。
帽子の下で目を据えたよ。
(貴様のような友達は持たん、失敬な。)と云って引返したわ。何か 託 ( かこつ ) け、根は臆病で 遁 ( に ) げただよ。見さっせえ、 韋駄天 ( いだてん ) のように木の下を駆出し、川べりの遠くへ行く仁右衛門親仁を、
(おおい、おおい、)
と茶番の 定九郎 ( さだくろう ) を 極 ( き ) めやあがる。」
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