草迷宮 泉鏡花 (Kusameikyu) | ||
二十六
「手並を見ろ、狐でも狸でも、この通りだ、と刃物の禁断は承知ですから、 小刀 ( ナイフ ) を持っちゃおりません、拳固で、 貴僧 ( あなた ) 。
小相撲 ( こずもう ) ぐらい 恰幅 ( かっぷく ) のある、節くれだった若い衆でしたが……」
場所がまた悪かった。――
「前夜、ココココ、と云って 小刀 ( ナイフ ) を出してくれたと 同一 ( おなじ ) 処、敷居から掛けて柱へその 西瓜 ( すいか ) を 極 ( き ) めて置いて、 大上段 ( おおじょうだん ) です。
ポカリ 遣 ( や ) った。途端に何とも、 凄 ( すさ ) まじい、石油缶が二三十 打 ( ぶ ) つかったような音が台所の方で聞えたんです。
唐突 ( だしぬけ ) ですから、宵に手ぐすねを引いた連中も、はあ、と 引呼吸 ( ひきいき ) に魂を 引攫 ( ひきさらわ ) れた拍子に――飛びました。その 貴僧 ( あなた ) 、西瓜が、ストンと若い衆の胸へ 刎上 ( はねあが ) ったでしょう。
仰向 ( あおむけ ) に 引 ( ひっ ) くりかえると、また騒動。
それ、肩を越した、ええ、足へ乗っかる。わああ!裾へ 纏 ( まつ ) わる、火の玉じゃ。座頭の 天窓 ( あたま ) よ、入道首よ、いや女の生首だって、 可 ( い ) い加減な事ばかり。夕顔の花なら知らず、西瓜が何、女の首に見えるもんです。
追掛 ( おっか ) けるのか、逃廻るのか、どたばた跳飛ぶ内、ドンドンドンドンと天井を下から上へ打抜くと、がらがらと 棟木 ( むなぎ ) が外れる、戸障子が鳴響く、地震だ、と 突伏 ( つッぷ ) したが、それなり 寂 ( しん ) として、 静 ( しずか ) になって、風の音もしなくなりました。
ト屋根に生えた草の、葉と葉が 入交 ( いりまじ ) って見え透くばかりに、月が一ツ出ています。――今の西瓜が光るのでした。
森は 押被 ( おっかぶ ) さっておりますし、 行燈 ( あんどう ) はもとよりその立廻りで 打倒 ( ぶったお ) れた。何か私どもは深い狭い谷底に 居窘 ( いすく ) まって、 千仞 ( せんじん ) の崖の上に月が落ちたのを 視 ( なが ) めるようです。そう言えば、 欅 ( けやき ) の枝に 這 ( は ) いかかって、こう、月の上へ蛇のように 垂 ( たれ ) かかったのが、 蔦 ( つた ) の葉か、と思うと、屋根一面に瓜畑になって、鳴子縄が引いてあるような気もします。
したたかな、 天狗 ( てんぐ ) め、とのぼせ 上 ( あが ) って、宵に蚊いぶしに 遣 ( や ) った、杉ッ葉の燃残りを取って、一人、その月へ投げつけたものがありました。
もろいの、何の、ぼろぼろと朽木のようにその満月が崩れると、葉末の露と一つになって、棟の 勾配 ( こうばい ) を 辷 ( すべ ) り落ちて、消えたは 可 ( い ) いが、ぽたりぽたり 雫 ( しずく ) がし出した。 頸 ( えり ) と言わず、肩と言わず、降りかかって来ましたが、手を当てる、とべとりとして粘る。 嗅 ( か ) いでみると、いや、 貴僧 ( あなた ) 、悪甘い匂と言ったら。
夜深しに汗ばんで、 蒸々 ( むしむし ) して、 咽喉 ( のど ) の乾いた処へ、その匂い。 血腥 ( ちなまぐさ ) いより 堪 ( たま ) りかねて、縁側を開けて、私が一番に庭へ出ると、 皆 ( みんな ) も 跣足 ( はだし ) で飛下りた。
驚いたのは、もう夜が明けていたことです。山の 巓 ( いただき ) の方は 蒼 ( あお ) くなって、 麓 ( ふもと ) へ 靄 ( もや ) が白んでいました。
不思議な処へ、思いがけない景色を見て、 和蘭陀 ( オランダ ) へ流された、と云うのがあるし、堪らない、まず 行燈 ( あんどう ) をつけ直せ、と怒鳴ったのが居る。
屋根のその辺だ、と思う、西瓜のあとには、烏が居て、コトコトと 嘴 ( はし ) を鳴らし、 短夜 ( みじかよ ) の明けた広縁には、ぞろぞろ 夥 ( おびただ ) しい、 褐 ( かば ) 色の黒いのと、松虫鈴虫のようなのが、うようよして、ざっと障子へ 駆上 ( かけあが ) って消えましたが、西瓜の 核 ( たね ) が 化 ( な ) ったんですって。
連中は、
と二日酔いのような 工合 ( ぐあい ) で、ぼんやり黒門を出て、川べりに帰りました。橋の処で、 杭 ( くい ) にかかって、ぶかぶか浮いた 真蒼 ( まっさお ) な西瓜を見て、それから夢中で、 遁 ( に ) げたそうです。
昼過ぎに、宰八が来て、その話。
私はその時分までぐっすり寝ました。
この時おかしかったのは、爺さんが、目覚しに茶を一つ入れてやるべいって、小まめに世話をして、 佳 ( い ) い色に煮花が出来ましたが、あいにく西瓜も盗んで来ない。何かないか、と考えて、有る――台所に糖味噌が、こりゃ私に、と云って一々運ぶも面倒だから、と手の着いたのじゃあるが、 桶 ( おけ ) ごと持って来て、時々爺さんが何かを 突込 ( つッこ ) んでおいてくれるんでした。
一人だから食べ切れないで、 直 ( じ ) きつき過ぎる、と云って、世話もなし、 茄子 ( なす ) を 蔕 ( へた ) ごと 生 ( しょう ) のもので漬けてありました。 可 ( い ) い 漬 ( つか ) り加減だろう、とそれに気が着いて、台所へ出ましたっけ。
(お客様あ、)
(何だい。)
( 昨夜 ( ゆうべ ) 凄 ( すさま ) じい音がしたと言わしっけね、何にも 落 ( おっ ) こちたものはねえね。)
って言いながら、やがて小鉢へ、丸ごと五つばかり出して来ました。
薄お納戸の 好 ( い ) い色で。」
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