草迷宮 泉鏡花 (Kusameikyu) | ||
十三
さて十年の 馴染 ( なじみ ) のように、擦寄って声を 密 ( ひそ ) め、
「 童唄 ( わらべうた ) を聞かっしゃりまし――(秋谷 邸 ( やしき ) の細道じゃ、誰方が見えても通しません)――と、の、それ、」
小次郎法師の 頷 ( うなず ) くのを、合点させたり、と 熟 ( じっ ) と見て、 姥 ( うば ) はやがて 打頷 ( うちうなず ) き、
「……でござりましょう。まず、この秋谷で、邸と申しますれば――そりゃ土蔵、 白壁造 ( しらかべづくり ) 、 瓦 ( かわら ) 屋根は、御方一軒ではござりませぬが、 太閤様 ( たいこうさま ) は秀吉公、黄門様は水戸様でのう、邸は鶴谷に帰したもの。
ところで、一軒は御本宅、こりゃ村の草分でござりますが、もう一軒――喜十郎様が隠居所にお建てなされた、御別荘がござりましての。
お金は十分、通い廊下に藤の花を 咲 ( さか ) しょうと、西洋窓に 鸚鵡 ( おうむ ) を飼おうと、見本は 直 ( じ ) き近い処にござりまして、 思召 ( おぼしめし ) 通りじゃけれど、昔 気質 ( かたぎ ) の堅い 御仁 ( ごじん ) 、我等式百姓に、別荘づくりは 相応 ( ふさ ) わしからぬ、とついこのさきの 立石 ( たていし ) 在に、昔からの大庄屋が土台ごと売物に出しました、瓦ばかりも小千両、大黒柱が二抱え。平家ながら天井が、高い処に 照々 ( きらきら ) して 間数 ( まかず ) 十ばかりもござりますのを、 牛車 ( うしぐるま ) に積んで来て、 背後 ( うしろ ) に 大 ( おおき ) な森をひかえて、 黒塗 ( くろぬり ) の門も立木の奥深う、 巨寺 ( おおでら ) のようにお建てなされて、東京の御修業さきから、御子息の喜太郎様が帰らっしゃりましたのに世を譲って、御夫婦一まず御隠居が済みましけ。
去年の夏でござりますがの、喜太郎様が東京で御 贔屓 ( ひいき ) にならしった、さる御大家の嬢様じゃが、夏休みに、ぶらぶら 病 ( やまい ) の保養がしたい、と言わっしゃる。
海辺は 賑 ( にぎや ) かでも、馬車が通って 埃 ( ほこり ) が立つ。閑静な処をお望み、間数は多し 誂 ( あつら ) え向き、隠居所を三間ばかり、腰元も二人ぐらい附く 筈 ( はず ) と、御子息から相談を 打 ( ぶ ) たっしゃると、隠居と言えば世を避けたも同様、また本宅へ居直るも 億劫 ( おっこう ) なり、 年寄 ( としより ) と一所では若い御婦人の気が 詰 ( つま ) ろう。若いものは若い同士、本家の方へお連れ申して、土用正月、 歌留多 ( うたがるた ) でも取って遊ぶが 可 ( い ) い、嫁もさぞ喜ぼう、と 難有 ( ありがた ) いは、親でのう。
そこで、そのお嬢様に御本家の部屋を、幾つか分けて、貸すことになりましけ。ある晩、 腕車 ( くるま ) でお乗込み、天上ぬけに 美 ( うつくし ) い、と評判ばかりで、 私等 ( わしら ) ついぞお姿も見ませなんだが、下男下女どもにも口留めして、 秘 ( かく ) さしったも道理じゃよ。
その嬢様は落っこちそうなお腹じゃげな。」
「むむ、 孕 ( はら ) んでいたかい。そりゃ 怪 ( け ) しからん、その息子というのが 馴染 ( なじみ ) ではないのかね。」
「御推量でございます、そこじゃ、お前様。見えて半月とも 経 ( た ) ちませぬに、 豪 ( えら ) い騒動が起ったのは、喜太郎様の嫁御がまた臨月じゃ。
御本家に飼殺しの 親爺 ( おやじ ) 仁右衛門、 渾名 ( あだな ) も 苦虫 ( にがむし ) 、むずかしい顔をして、御隠居殿へ出向いて、まじりまじり、 煙草 ( たばこ ) を 捻 ( ひね ) って言うことには、(ハイ、これ、昔から言うことだ。二人 一斉 ( いっとき ) に産をしては、後か、 前 ( さき ) か、いずれ一人、 相孕 ( あいばらみ ) の 怪我 ( けが ) がござるで、分別のうてはなりませぬ、)との。
喜十郎様、凶年にもない腕組をさっせえて、( 善悪 ( よしあし ) はともかく、内の嫁が可愛いにつけ、 余所 ( よそ ) の娘の臨月を、出て 行 ( ゆ ) けとは無慈悲で言われぬ。ただし 廂 ( ひさし ) を貸したものに、 母屋 ( おもや ) を明渡して嫁を隠居所へ引取る段は、先祖の 位牌 ( いはい ) へ申訳がない。 私等 ( わしら ) が本宅へ立帰って、その嬢様にはこの隠居所を貸すとしよう)――御夫婦、黒門を出さしったのが、また世に立たっしゃる前表かの。
鶴谷は再度、御隠居の代になりました。」
「息子さんは 不埒 ( ふらち ) が分って勘当かい。」
「聞かっせえまし、喜太郎様は亡くなりましたよ。 前後 ( あとさき ) へ黒門から 葬礼 ( おとむらい ) が五つ出ました。」
「五つ!」
「ええ、ええ、お前様。」
「誰と誰と、ね?」
「はじめがその 出養生 ( でようじょう ) の嬢様じゃ。これが産後でおいとしゅうならしった。大騒ぎのすぐあと、七日目に嫁御がお産じゃ。
汐時 ( しおどき ) が二つはずれて、朝六つから夜の四つ時まで、苦しみ通しの難産でのう。
村中は火事場の騒ぎ、御本宅は 寂 ( しん ) として、御経の声やら、 咳 ( しわぶき ) やら……」
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