University of Virginia Library

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「それではお婆さん楽隠居だ。孫子がさぞ大勢あんなさろうね。」

 と小次郎法師は、話を聞き聞き、子産石の かた のぞ きたれば、面白や浪の、云うことも上の空。

 トお茶 しましょうと出しかけた、 塗盆 ぬりぼん を膝に伏せて、ふと黙って、 うば は寂しそうに傾いたが、

「何のお前様、この年になりますまで、孫子の影も見はしませぬ。 じじい 殿と二人きりで、雨のさみしさ、 行燈 あんどう の薄寒さに、心細う、 果敢 はか ないにつけまして、 小児衆 こどもしゅう を欲しがるお方の、お心を察しますで、のう、子産石も一つ一つ、信心して進じます。

 長い月日の事でござりますから、里の人達は 私等 わしら が事を、人に子だねを進ぜるで、二人が実を持たぬのじゃ、と云いますがの、今ではそれさえ本望で、せめてもの心ゆかしでござりますよ。」

 とかごとがましい口ぶりだったが、柔和な顔に ひそ みも見えず、温順に 莞爾 にっこり して、

御新造様 ごしんぞさま がおありなさりますれば、 御坊様 ごぼうさま にも一かさね、子産石を進ぜましょうに……」

「とんでもない。この団子でも石になれば、それで村方 勧化 かんげ でもしようけれど、あいにく三界に家なしです。

 しかし今聞いたようでは、さぞお前さんがたは さみ しかろうね。」

「はい、はい、いえ、御坊様の前で申しましては、お 追従 ついしょう のようでござりますが、仏様は御方便、 難有 ありがた いことでござります。こうやって 愛想気 あいそっけ もない 婆々 ばば とこ でも、お休み下さりますお人たちに、お茶のお給仕をしておりますれば、何やかや にぎ やかで、世間話で、ついうかうかと日を暮しますでござります。

 ああ、もしもし、」

 と街道へ、

「休まっしゃりまし。」と呼びかけた。

 車輪のごとき おおき さの、紅白 段々 だんだら の夏の蝶、 河床 かわどこ は草にかくれて、清水のあとの土に輝く、山際に翼を廻すは、白の 脚絆 きゃはん 草鞋穿 わらじばき 、かすりの 単衣 ひとえ のまくり手に、その看板の 洋傘 こうもり を、 手拭 てぬぐい 持つ手に 差翳 さしかざ した、 三十 みそぢ ばかりの女房で。

 あんぺら帽子を 阿弥陀 あみだ かぶり、 しま 襯衣 しゃつ 大膚脱 おおはだぬぎ 、赤い 団扇 うちわ を帯にさして、 手甲 てっこう 甲掛 こうがけ 厳重に、荷をかついで続くは亭主。

 店から呼んだ姥の声に、女房がちょっと会釈する時、 束髪 たばねがみ びん そよ いで、 さき を急ぐか、そのまま通る。

 前帯をしゃんとした細腰を、 ひさし にぶらさがるようにして、 ほころ びた脇の下から、 狂人 きちがい の嘉吉は、きょろりと一目。

 ふらふらと 葭簀 よしず を離れて、早や六七間行過ぎた、女房のあとを、すたすたと 跣足 はだし 砂路 すなみち

 ほこりを黄色に、ばっと立てて、擦寄って、 附着 くッつ いたが、女房のその 洋傘 こうもり から のし かかって 見越 みこし 入道。

「イヒヒ、イヒヒヒ、」

「これ、 悪戯 いたずら をするでないよ。」

 と姥が 爪立 つまだ って たしな めたのと、笑声が、ほとんど一所に小次郎法師の耳に入った。

 あたかもその時、亭主驚いたか高調子に、

「傘や 洋傘 こうもり の繕い!―― 洋傘 こうもりがさ 張替 はりかえ 繕い直し……」

 蝉の鳴く を貫いて、誰も通らぬ 四辺 あたり に響いた。

  すか さず、この不気味な和郎を、女房から押隔てて、荷を 真中 まんなか へ振込むと、 流眄 しりめ に一 にら み、直ぐ、 急足 いそぎあし になるあとから、和郎は、のそのそ―― おおき な影を引いて続く。

御覧 ごろう じまし、あの通り困ったものでござります。」

 法師も言葉なく見送るうち、沖から来るか、途絶えては、ずしりと崖を打つ音が、松風と行違いに、向うの山に三度ばかり浪の調べを通わすほどに、紅白 段々 だんだら 洋傘 こうもり は、小さく まり のようになって、人の かしら 入交 いれま ぜに、空へ突きながら くかと見えて、 一条道 ひとすじみち のそこまでは一軒の 苫屋 とまや もない、 彼方 かなた 大崩壊の腰を、 点々 ぽつぽつ