University of Virginia Library

Search this document 
  

 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
 19. 
 20. 
 21. 
 22. 
 23. 
 24. 
 25. 
 26. 
 27. 
 28. 
 29. 
 30. 
 31. 
 32. 
 33. 
 34. 
 35. 
 36. 
 37. 
 38. 
 39. 
 40. 
 41. 
 42. 
 43. 
 44. 
 45. 
  

  

「利かぬ気の 親仁 おやじ じゃ、お前様、月夜の遠見に、 まと ったものの形は、 葦簀張 よしずばり の柱の根を おさ えて置きます、お前様の 背後 うしろ の、その

[_]
[23]
石※ いしころ か、 わし が立掛けて置いて帰ります、この 床几 しょうぎ の影ばかり。

  大崩壊 おおくずれ まで見通しになって、 貴女 あなた の姿は、 蜘蛛巣 くものす ほども見えませぬ。それをの、透かし透かし、山際に 附着 くッつ いて、薄墨引いた草の上を、 跫音 あしおと を盗んで 引返 ひっかえ しましたげな。

 嘉吉をどう始末さっしゃるか、それを見届けよう、という、 じじい どの 了簡 りょうけん でござります。

 荷車はの、明神様石段の前を けば、御存じの三崎街道、横へ切れる 畦道 あぜみち が在所の入口でござりますで、そこへ引込んだものでござります。人気も おだやか なり、積んだものを見たばかりで、鶴谷様御用、と札の建ったも 同一 おなじ じゃで、誰も手の はござりませぬで。

 爺どのは、 うようにして、 身体 からだ を隠して引返したと言いましけ。よう姿が隠さりょう、光った 天窓 あたま と、 顱巻 はちまき 茜色 あかねいろ が月夜に消えるか。 ぬし ゃそこで早や、 貴女 あなた の術で、 きながら はさみ あか い月影の かに になった、とあとで村の衆にひやかされて、ええ、 けやい、気味の悪い、と目をぱちくり、泡を吹いたでござりますよ。

 笑うてやらっしゃりませ。いけ年を つかまつ って、貴女が、 ね、とおっしゃったを せば いことでござります。」

 法師はかくと聞いて眉を ひそ め、

「笑い事ではない。何かお 爺様 じいさん に異状でもありましたか。」

「お目こぼしでござります、」

 と姥は謹んだ、 顔色 かおつき して、

「爺どのはお かげ と何事もござりませんで、今日も鶴谷様の野良へ手伝いに参っております。」

「じゃ、その嘉吉と云うのばかりが、変な目に逢ったんだね。」

「それも心がらでござります。はじめはお前様、 貴女 あなた が御親切に、勿体ない……お手ずから かおり の高い、水晶を みますような、涼しいお薬を下さって、水ごと残しておきました、……この手 おけ から、」……

 と姥は見返る。捧げた心か、 葦簀 よしず に挟んで、 常夏 とこなつ の花のあるが もと に、日影涼しい手桶が 一個 ひとつ 、輪の上に、――大方その時以来であろう―― 注連 しめ を張ったが、まだ新しい。

「水も んで、くくめておやり遊ばした。嘉吉の我に返った処で、心得違いをしたために、主人の とこ へ帰れずば、これを しろ に言訳して、と結構な御宝を。……

 それがお前様、 真緑 まみどり の、光のある、美しい、珠じゃったげにございます。

 爺どのが、潜り込んだ草の中から、その蟹の目を そっ と出して、見た時じゃったと申します。

 こう、貴女がお持ちなさりました指の さき へ、ほんのりと あお く映って、白いお手の透いた処は、 おおき な蛍をお つま みなさりましたようじゃげな。

 貴女のお 身体 からだ 附属 つい ていてこそじゃが、やがて、はい、その光は、嘉吉が さい ころを振る てのひら の中へ、消えましたとの。

 それから、抜かっしゃりましたものらしい、少し 俯向 うつむ いて、ええ、やっぱり、顔へは団扇を当てたまんまで、お ぐし の黒い、前の方へ、軽く かんざし をお さし なされて、お草履か、 雪駄 せった かの、それなりに、はい、すらすらと、月と一所に 女浪 めなみ のように 歩行 ある かっしゃる。

 これでまた爺どのは 悚然 ぞっ としたげな。のう、いかな事でも、明神様の 知己 ちかづき じゃ言わしったは 串戯 じょうだん で、大方は、葉山あたりの 誰方 どなた のか御別荘から、お忍びの方と思わしっけがの。

 今 かっしゃるのは 反対 あべこべ に秋谷の方じゃ。……はてな、と思うと、変った事は、そればかりではござりませぬよ。

 嘉吉の やつ がの、あろう事か、慈悲を垂れりゃ、何とやら。珠は つか む、酒の上じゃ、はじめはただ、御恩返しじゃの、お名前を聞きたいの、ただ一目お顔の、とこだわりましけ。柳に受けて 歩行 ある かっしゃるで、 機織場 はたおりば ねえ やが とこ へ、夜さり、 畦道 あぜみち を通う時の高声の唄のような、真似もならぬ大口利いて、 はて は増長この上なし、袖を引いて、手を廻して、 背後 うしろ から抱きつきおる。

 爺どのは冷汗 いたげな。や、それでも召ものの すそ に、 草鞋 わらじ ひっ かかりましたように、するすると嘉吉に抱かれて、前ざまに かっしゃったそうながの、お前様、飛んでもない、」

しからん事を――またしたもんです。」

 と小次郎法師は苦り切る。