草迷宮 泉鏡花 (Kusameikyu) | ||
九
「介抱しよう、お下ろしな、と言わっしゃる。
その位な荒療治で、寝汗一つ取れる奴か。 打棄 ( うっちゃ ) っておかっせえ。面倒臭い、と 顱巻 ( はちまき ) しめた頭を 掉 ( ふ ) って云うたれば、どこまで 行 ( ゆ ) く、と聞かしっけえ。
途中さまざまの 隙 ( ひま ) ざえで、 爺 ( じじい ) どのもむかっぱらじゃ、秋谷鎮座の明神様、 俺等 ( わしら ) が 産神 ( うぶすな ) へ届け物だ、とずッきり 饒舌 ( しゃべ ) ると、
(受取りましょう、ここで 可 ( い ) いから。)
(お前様は?)
(ああ、明神様の 侍女 ( こしもと ) よ。)と言わっしゃった。
月に浪が 懸 ( かか ) りますように、さらさらと、風が吹きますと、揺れながらこの 葦簀 ( よしず ) の蔭が、格子 縞 ( じま ) のように御袖へ映って、雪の 膚 ( はだ ) まで透通って、 四辺 ( あたり ) には影もない。中空を見ますれば、 白鷺 ( しらさぎ ) の飛ぶような雲が見えて、ざっと一浪打ちました。
爺どのは 悚然 ( ぞっ ) として、はい、はい、と 柔順 ( すなお ) になって、縄を解くと、ずりこけての、嘉吉のあの図体が、どたりと荷車から。 貴女 ( あなた ) は 擡 ( もた ) げた手を下へ、地の上へ着けるように、嘉吉の頭を下ろさっせえた。
足をばたばたの、手によいよい、 輻 ( やぼね ) も 蹴 ( け ) はずしそうに 悶 ( もが ) きますわの。
(ああ、お前はもう 可 ( い ) いから。)邪魔もののようにおっしゃったで、爺どのは心外じゃ……
何の、心外がらずともの、いけずな 親仁 ( おやじ ) でござりますがの、ほほ、ほほ。」
「いや、いや、私が聞いただけでも、何か、こうわざと 邪慳 ( じゃけん ) に取扱ったようで、 対手 ( あいて ) がその 酔漢 ( よいどれ ) を 労 ( いたわ ) るというだけに、黙ってはおられません。何だか 寝覚 ( ねざめ ) が悪いようだね。」
「ええ、 串戯 ( じょうだん ) にも、 氏神様 ( うじがみさま ) の 知己 ( ちかづき ) じゃと言わっしゃりましたけに、嘉吉を荷車に縛りましたのは、明神様の 同一 ( おなじ ) 孫児 ( まごこ ) を、 継子 ( ままこ ) 扱いにしましたようで、 貴女 ( あなた ) へも聞えが悪うござりますので。
綿の 上積 ( うわずみ ) 一件から荷に 奴 ( やっこ ) を縛ったは、 爺 ( じい ) どのが自分したことではない事を、言訳がましく 饒舌 ( しゃべ ) りますと、(可いから、お前はあっちへ、)と、こうじゃとの。
( 可 ( よ ) かあねえだ。もの、 理合 ( りあい ) を言わねえ事にゃ、ハイ気が済みましねえ。お前様も明神様お 知己 ( ちかづき ) なら聞かっしゃい。 老耆 ( おいぼれ ) の 手 ( てん ) ぼう 爺 ( じじい ) に、若いものの 酔漢 ( よいどれ ) の 介抱 ( やっかい ) が 何 ( あに ) 、出来べい。神様も分らねえ、こんな、くだま野郎を労ってやらっしゃる御慈悲い深い 思召 ( おぼしめし ) で、何でこれ、 私等 ( わしら ) 婆様の中に、 小児 ( こども ) 一人授けちゃくれさっしゃらぬ。それも可い、無い子だねなら 断念 ( あきら ) めべいが、 提灯 ( ちょうちん ) で 火傷 ( やけど ) をするのを、何で、黙って見てござった。 私 ( わし ) が 手 ( てん ) ぼうでせえなくば、おなじ車に 結 ( ゆわ ) えるちゅうて、こう、けんどんに、 倒 ( さかしま ) にゃ縛らねえだ。初対面のお前様見さっしゃる目に、えら 俺 ( わし ) が非道なようで、寝覚が悪い、)と 顱巻 ( はちまき ) を 掉立 ( ふりた ) てますと、のう。
(早く、お帰り、)と、継穂がないわの。
(いんにゃ、理を言わねえじゃ、)とまだ早や一概に 捏 ( こ ) ねようとしましたら……
(おいでよ、)と、お前様ね。
団扇 ( うちわ ) で顔を隠さしったなり。 背後 ( うしろ ) へ雪のような手を 伸 ( のば ) して、荷車ごと 爺 ( じい ) どのを、 推遣 ( おしや ) るようにさっせえた。お手の指が白々と、こう 輻 ( やぼね ) の上で、糸車に、はい、綿屑がかかったげに、月の光で動いたらばの、ぐるぐるぐると輪が廻って、 爺 ( じじい ) どのの 背 ( せなか ) へ、荷車が、 乗被 ( のっかぶ ) さるではござりませぬか。」
「おおおお、」
と、法師は目を
※ ( みは ) って 固唾 ( かたず ) を呑む。「 吃驚 ( びっくり ) 亀の子、空へ何と、爺どのは手を泳がせて、自分の 曳 ( ひ ) いた荷車に、がらがら 背後 ( うしろ ) から押出されて、わい、というたぎり、 一呼吸 ( ひといき ) に村の 取着 ( とッつ ) き、あれから、この街道が 鍋 ( なべ ) づる 形 ( なり ) に曲ります、明神様、森の石段まで、ひとりでに駆出しましたげな。
もっとも見さっしゃります通り、道はなぞえに、 向 ( むこう ) へ低くはなりますが、下り坂と云う程ではなし、その 疾 ( はや ) いこと。一なだれに 辷 ( すべ ) ったようで、やっと石段の下で、うむ、とこたえて踏留まりますと、はずみのついた車めは、がたがたと石ころの上を空廻りして、躍ったげにござります。
見上げる空の森は暗し、爺どのは、身震いをしたと申しますがの。」
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