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「あれ、あの 大崩壊 おおくずれ の崖の 前途 むこう へ、皆が見えなくなりました。

 ちょうど、あれを出ました、下の浜でござります。 唯今 ただいま 狂人 きちがい が、酒に酔って 打倒 ぶったお れておりましたのは……はい、あれは嘉吉と申しまして、 私等 わしら 秋谷在の、いけずな野郎でござりましての。

 その飲んだくれます事、怠ける 工合 ぐあい 、まともな人間から見ますれば、 ほん に正気の 沙汰 さた ではござりませなんだが、それでもどうやら人並に、正月はめでたがり、盆は忙しがりまして、別に気が触れた やつ ではござりません。いつでも村の 御祭礼 おまつり のように、遊ぶが 病気 やまい でござりましたが、この春頃に、何と発心をしましたか、自分が望みで、三浦三崎のさる 酒問屋 さかどいや へ、奉公をしたでござります。

 つい夏の 取着 とッつ きに、御主人のいいつけで、 清酒 すみざけ をの、お前様、 沢山 たんと でもござりませぬ。 三樽 みたる ばかり船に積んで、船頭殿が一人、嘉吉めが 上乗 うわの りで、この葉山の小売 みせ へ卸しに来たでござります。

 葉山森戸などへ三崎の方から帰ります、この辺のお百姓や、漁師たち、顔を知ったものが、途中から、 のっ けてくらっせえ、明いてる船じゃ、と 渡場 わたしば でも船つきでもござりませぬ。海岸の岩の上や、 いそ の松の根方から、おおいおおい、と 板東声 ばんどうごえ で呼ばり立って、とうとう五人がとこ押込みましたは、以上七人になりました、よの。

 どれもどれも、 ろく でなしが、得手に帆じゃ。船は走る、口は すべ る、 なぎ はよし、大話しをし 草臥 くたぶ れ、嘉吉めは胴の の横木を枕に、 踏反返 ふんぞりかえ って、ぐうぐう 高鼾 たかいびき になったげにござります。

 路に なだ はござりませぬが、樽の香が 芬々 ぷんぷん して、 たこ も浮きそうな凪の さ。せめて船にでも酔いたい、と一人が 串戯 じょうだん に言い出しますと、何と一樽 けまいか、飲むことは銘々が勝手次第、勝負の上から代銭を払えば い、面白い、 るべいじゃ。

  煙管 きせる の吸口ででも結構に樽へ穴を開ける てあい が、大びらに呑口切って、お前様、お船頭、弁当箱の あき はなしか、といびつ なり 切溜 きりだめ を、大海でざぶりとゆすいで、その皮づつみに、せせり残しの、醤油かすを指のさきで めながら、まわしのみの あお っきり。

 天下晴れて、財布の ひも を外すやら、胴巻を解くやらして、 賭博 なぐさみ をはじめますと、お船頭が黙ってはおりませぬ。」

叱言 こごと を云って留めましたか。さすがは船頭、字で書いても船の かしら だね。」

 と真顔で法師の言うのを聞いて、 うば は、いかさまな、その 年少 としわか で、出家でもしそうな人、とさも あわれ んだ趣で、

「まあ、お人の い。なるほど船頭を字に書けば、船の頭でござりましょ。そりゃもう船の頭だけに、 きま り処はちゃんと極って、間違いのない事をいたしました。」

「どうしたかね。」

「五人 であい さい の目に並んでおります、 真中 まんなか へ割込んで、まず帆を下ろしたのでござります。」

 と 莞爾 にっこり して顔を見る。

 いささかもその意を得ないで、

「なぜだろうかね。」

「この追手じゃ、帆があっては、丁と云う間に葉山へ着く。ふわふわと 海月 くらげ 泳ぎに、船を浮かせながらゆっくり遣るべい。

 その事よ。四海波静かにて、波も動かぬ時津風、枝を鳴らさぬ 御代 みよ なれや、と勿体ない、祝言の 小謡 こうたい を、 聞噛 ききかじ りに うた う下から、勝負!とそれ、 おあし 取遣 とりや り。板子の下が地獄なら、上も 修羅道 しゅらどう でござります。」

「船頭も同類かい、何の事じゃ、」

 と法師は あらた になみなみとある茶碗を大切そうに両手で持って、苦笑いをするのであった。

「それはお前様、あの てあい と申しますものは、……まあ、海へ出て岸をば

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みまわ して 御覧 ごろう じまし。 いわ の窪みはどこもかしこも、 賭博 ばくち つぼ に、 あわび ふた かに の穴でない処は、皆 意銭 あないち のあとでござります。珍しい事も、不思議な事もないけれど、その時のは、はい、嘉吉に取っては、あやかしが着きましたじゃ。のう、 便船 びんせん しょう、便船しょう、と船を なぎさ へ引寄せては、 巌端 いわばな から、松の下から、 飜然々々 ひらりひらり と乗りましたのは、魔がさしたのでござりましたよ。」