草迷宮 泉鏡花 (Kusameikyu) | ||
三
小次郎法師は、 掛茶屋 ( かけじゃや ) の 庇 ( ひさし ) から、 天 ( そら ) へ 蝙蝠 ( こうもり ) を吹出しそうに 仰向 ( あおむ ) いた、 和郎 ( わろ ) の 面 ( つら ) を 斜 ( ななめ ) に見 遣 ( や ) って、
「そう、気違いかい。私はまた 唖 ( おうし ) ででもあろうかと思った、立派な若い人が気の毒な。」
「お前様ね、一ツは心柄でござりますよ。」
媼 ( うば ) は、罪と 報 ( むくい ) を、且つ悟り且つあきらめたようなものいい。
「何か 憑物 ( つきもの ) でもしたというのか、暮し向きの屈託とでもいう事か。」
と言い懸けて、渋茶にまた舌打しながら、円い茶の子を口の 端 ( はた ) へ持って 行 ( ゆ ) くと、さあらぬ 方 ( かた ) を見ていながら天眼通でもある事か、 逸疾 ( いちはや ) くぎろりと見附けて、
「やあ、石を 噛 ( かじ ) りゃあがる。」
小次郎再び 化転 ( けてん ) して、
「あんな事を云うよ、お婆さん。」
「悪い餓鬼じゃ。 嘉吉 ( かきち ) や、 主 ( ぬし ) あ、もうあっちへ 行 ( ゆ ) かっしゃいよ。」
その本体はかえって 差措 ( さしお ) き、砂地に 這 ( は ) った、 朦朧 ( もうろう ) とした影に向って、 窘 ( たしな ) めるように言った。
潮は光るが、空は折から薄曇りである。
法師もこれあるがために暗いような、和郎の影法師を伏目に見て、
「一ツ分けてやりましょうかね。団子が欲しいのかも知れん、それだと思いが 可恐 ( おそろ ) しい。ほんとうに石にでもなると大変。」
「 食気 ( くいけ ) の 狂人 ( きちがい ) ではござりませんに、御無用になさりまし。
石じゃ、と申しましたのは、これでもいくらか、不断の事を、覚えていると見えまして、 私 ( わし ) がいつでもお客様に差上げますのを知っておりまして、今のように云うたのでござりましょ。
また 埴土 ( ねばつち ) の団子じゃ、とおっしゃってはなりません。このお前様。」
と、法師の脱いで立てかけた、 檜笠 ( ひのきがさ ) を両手に据えて、荷物の上へ直すついでに、目で教えたる 葭簀 ( よしず ) の外。
さっくと削った 荒造 ( あらづくり ) の仁王尊が、 引組 ( ひっく ) む 状 ( さま ) の 巌 ( いわ ) 続き、海を踏んで 突立 ( つッた ) つ間に、 倒 ( さかさ ) に生えかかった 竹藪 ( たけやぶ ) を 一叢 ( ひとむら ) 隔てて、同じ 巌 ( いわお ) の六枚 屏風 ( びょうぶ ) 、月には 蒼 ( あお ) き 俤立 ( おもかげだ ) とう――ちらほらと松も見えて、いろいろの浪を 縅 ( おど ) した、 鎧 ( よろい ) の袖を
※ ( しぶき ) に 翳 ( かざ ) す。「あれを 貴下 ( あなた ) 、お通りがかりに、 御覧 ( ごろう ) じはなさりませんか。」
と 背向 ( うしろむ ) きになって小腰を 屈 ( かが ) め、 姥 ( うば ) は七輪の炭をがさがさと 火箸 ( ひばし ) で直すと、 薬缶 ( やかん ) の尻が合点で、ちゃんと据わる。
「どの道貴下には御用はござりますまいなれど、 大崩壊 ( おおくずれ ) の 突端 ( とっぱし ) と 睨 ( にら ) み合いに、出張っておりますあの 巌 ( いわ ) を、」
と立直って指をさしたが、片手は据え腰を、えいさ、と抱きつつ、
「あれ、あれでござります。」
波が寄せて、あたかも風鈴が砕けた形に、ばらばらとその 巌端 ( いわばな ) に 打 ( うち ) かかる。
「あの、岩一枚、 子産石 ( こうみいし ) と申しまして、小さなのは 細螺 ( きしゃご ) 、 碁石 ( ごいし ) ぐらい、頃あいの 御供餅 ( おそなえ ) ほどのから、大きなのになりますと、一人では持切れませぬようなのまで、こっとり円い、ちっと、 平扁味 ( ひらたみ ) のあります石が、どこからとなくころころと産れますでございます。
その平扁味な処が、 恰好 ( かっこう ) よく乗りますから、二つかさねて、お持仏なり、神棚へなり、お祭りになりますと、子の無い方が、いや、もう、年子にお出来なさりますと、申しますので。
随分お望みなさる方が多うございますが、当節では、人がせせこましくなりました。お前様、 蓆戸 ( むしろど ) の 圧 ( おさ ) えにも持って参れば、二人がかりで、沢庵石に 荷 ( にな ) って帰りますのさえござりますに因って、今が今と申して、早急には見当りませぬ。
随分と御遠方、わざわざ拾いにござらして、力を落す方がござりますので、こうやって近間に店を出しておりますから、朝晩 汐時 ( しおどき ) を見ては拾っておきまして、お客様には、お土産かたがた、毎度 婆々 ( ばば ) が 御愛嬌 ( ごあいきょう ) に進ぜるものでござりますから、つい人様が御存じで、葉山あたりから遊びにござります、書生さんなぞは、
(婆さん、子は要らんが、女親を一つ 寄越 ( よこ ) せ。)
なんて、おからかいなされまする。
それを見い見い知っていて、この嘉吉の 狂人 ( きちがい ) が、いかな事、 私 ( わし ) があげましたものを 召食 ( めしあが ) ろうとするのを見て、石じゃ、と云うのでござりますよ。」
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