University of Virginia Library

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 小次郎法師は、 掛茶屋 かけじゃや ひさし から、 そら 蝙蝠 こうもり を吹出しそうに 仰向 あおむ いた、 和郎 わろ つら ななめ に見 って、

「そう、気違いかい。私はまた おうし ででもあろうかと思った、立派な若い人が気の毒な。」

「お前様ね、一ツは心柄でござりますよ。」

  うば は、罪と むくい を、且つ悟り且つあきらめたようなものいい。

「何か 憑物 つきもの でもしたというのか、暮し向きの屈託とでもいう事か。」

 と言い懸けて、渋茶にまた舌打しながら、円い茶の子を口の はた へ持って くと、さあらぬ かた を見ていながら天眼通でもある事か、 逸疾 いちはや くぎろりと見附けて、

「やあ、石を かじ りゃあがる。」

 小次郎再び 化転 けてん して、

「あんな事を云うよ、お婆さん。」

「悪い餓鬼じゃ。 嘉吉 かきち や、 ぬし あ、もうあっちへ かっしゃいよ。」

 その本体はかえって 差措 さしお き、砂地に った、 朦朧 もうろう とした影に向って、 たしな めるように言った。

 潮は光るが、空は折から薄曇りである。

 法師もこれあるがために暗いような、和郎の影法師を伏目に見て、

「一ツ分けてやりましょうかね。団子が欲しいのかも知れん、それだと思いが 可恐 おそろ しい。ほんとうに石にでもなると大変。」

食気 くいけ 狂人 きちがい ではござりませんに、御無用になさりまし。

 石じゃ、と申しましたのは、これでもいくらか、不断の事を、覚えていると見えまして、 わし がいつでもお客様に差上げますのを知っておりまして、今のように云うたのでござりましょ。

 また 埴土 ねばつち の団子じゃ、とおっしゃってはなりません。このお前様。」

 と、法師の脱いで立てかけた、 檜笠 ひのきがさ を両手に据えて、荷物の上へ直すついでに、目で教えたる 葭簀 よしず の外。

 さっくと削った 荒造 あらづくり の仁王尊が、 引組 ひっく さま いわ 続き、海を踏んで 突立 つッた つ間に、 さかさ に生えかかった 竹藪 たけやぶ 一叢 ひとむら 隔てて、同じ いわお の六枚 屏風 びょうぶ 、月には あお 俤立 おもかげだ とう――ちらほらと松も見えて、いろいろの浪を おど した、 よろい の袖を

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しぶき かざ す。

「あれを 貴下 あなた 、お通りがかりに、 御覧 ごろう じはなさりませんか。」

 と 背向 うしろむ きになって小腰を かが め、 うば は七輪の炭をがさがさと 火箸 ひばし で直すと、 薬缶 やかん の尻が合点で、ちゃんと据わる。

「どの道貴下には御用はござりますまいなれど、 大崩壊 おおくずれ 突端 とっぱし にら み合いに、出張っておりますあの いわ を、」

 と立直って指をさしたが、片手は据え腰を、えいさ、と抱きつつ、

「あれ、あれでござります。」

 波が寄せて、あたかも風鈴が砕けた形に、ばらばらとその 巌端 いわばな うち かかる。

「あの、岩一枚、 子産石 こうみいし と申しまして、小さなのは 細螺 きしゃご 碁石 ごいし ぐらい、頃あいの 御供餅 おそなえ ほどのから、大きなのになりますと、一人では持切れませぬようなのまで、こっとり円い、ちっと、 平扁味 ひらたみ のあります石が、どこからとなくころころと産れますでございます。

 その平扁味な処が、 恰好 かっこう よく乗りますから、二つかさねて、お持仏なり、神棚へなり、お祭りになりますと、子の無い方が、いや、もう、年子にお出来なさりますと、申しますので。

 随分お望みなさる方が多うございますが、当節では、人がせせこましくなりました。お前様、 蓆戸 むしろど おさ えにも持って参れば、二人がかりで、沢庵石に にな って帰りますのさえござりますに因って、今が今と申して、早急には見当りませぬ。

 随分と御遠方、わざわざ拾いにござらして、力を落す方がござりますので、こうやって近間に店を出しておりますから、朝晩 汐時 しおどき を見ては拾っておきまして、お客様には、お土産かたがた、毎度 婆々 ばば 御愛嬌 ごあいきょう に進ぜるものでござりますから、つい人様が御存じで、葉山あたりから遊びにござります、書生さんなぞは、

(婆さん、子は要らんが、女親を一つ 寄越 よこ せ。)

 なんて、おからかいなされまする。

 それを見い見い知っていて、この嘉吉の 狂人 きちがい が、いかな事、 わし があげましたものを 召食 めしあが ろうとするのを見て、石じゃ、と云うのでござりますよ。」