草迷宮 泉鏡花 (Kusameikyu) | ||
八
「……おう、宰八か。お 爺 ( じい ) 、在所へ帰るだら、これさ 一個 ( ひとつ ) 、 産神様 ( うぶすなさま ) へ届けてくんな。ちょうどはい、その荷車は 幸 ( さいわい ) だ、と言わっしゃる。
見ると、お前様、嘉吉めが、今申したその 体 ( てい ) でござりましょ。
同 ( おんな ) じ産神様 氏子 ( うじこ ) 夥間 ( なかま ) じゃ。承知なれど、 私 ( わし ) はこれ、手がこの通り、思うように荷が着けられぬ。 御身 ( おみ ) たちあんばいよう直さっしゃい、荷の上へ 載 ( の ) せべい、と 爺 ( じじい ) どのが云いますとの。
何 ( あに ) お 爺 ( じ ) い、そのまま上へ積まっしゃい、と早や二人して、嘉吉めが 天窓 ( あたま ) と足を、引立てるではござりませぬか。
爺どのが、待たっしゃい、鶴谷様のお使いで、綿を 大 ( いか ) いこと買うて来たが、醤油樽や石油缶の下積になっては悪かんべいと、上荷に積んであるもんだ。喜十郎旦那が 許 ( とこ ) で、ふっくりと入れさっしゃる綿の初穂へ、その酒浸しの 怪物 ( ばけもの ) さ、 押 ( おっ ) ころばしては相成んねえ、 柔々 ( やわやわ ) 積方も直さっしゃい、と利かぬ手の 拳 ( こぶし ) を握って、 一力味 ( ひとりきみ ) 力みましけ。
七面倒な、こうすべい、と荒稼ぎの 気短徒 ( きみじかてあい ) じゃ。お前様、 上 ( うわ ) かがりの縄の先を、嘉吉が 胴中 ( どうなか ) へ 結 ( ゆわ ) へ附けて、車の輪に障らぬまでに、横づけに縛りました。
賃銭の外じゃ、落しても大事ない。さらば急いで帰らっしゃれ。しゃんしゃんと手を 拍 ( たた ) いて、 賭博 ( ばくち ) に勝ったものも、負けたものも、飲んだ酒と差引いて、誰も損はござりませぬ。 可 ( い ) い機嫌のそそり節、尻まで 捲 ( まく ) った 脛 ( すね ) の向く方へ、ぞろぞろと散ったげにござります。
爺どのは、どっこいしょ、と横木に肩を入れ直いて、てんぼうの片手押しは、胸が力でござります。人通りが少いで、露にひろがりました浜昼顔の、ちらちらと咲いた上を、ぐいと 曳 ( ひき ) 出して、それから、がたがた。
大崩 ( おおくずれ ) まで葉山からは、だらだらの 爪先上 ( つまさきあが ) り。後はなぞえに下り道。車がはずんで、ごろごろと、 私 ( わし ) がこの茶店の前まで参った時じゃ、と……申します。
やい、枕をくれ、枕をくれ、と嘉吉めが 喚 ( わめ ) くげな。
何 吐 ( ぬか ) すぞい、この野郎、 贅沢 ( ぜいたく ) べいこくなてえ、 狐店 ( きつねみせ ) の白ッ首と間違えてけつかるそうな、とぶつぶつ 口叱言 ( くちこごと ) を申しましての、爺どのが振向きもせずに、ぐんぐん 曳 ( ひ ) いたと思わっしゃりまし。」
「何か、夢でも見たろうかね。」
「夢どころではござりますか、お前様、直ぐに 縊 ( しめ ) 殺されそうな声を出して、苦しい、苦しい、鼻血が出るわ、目がまうわ、 天窓 ( あたま ) を上へ上げてくれ。やい、どうするだ、さあ、殺さば殺せ、 漕 ( こ ) がば漕げ、とまだ夢中で、嘉吉めは船に居る気でおります、よの。
胴中の縄が 弛 ( ゆる ) んで、天窓が 地 ( つち ) へ擦れ擦れに、 倒 ( さかさま ) になっておりますそうな。こりゃもっともじゃ、のう、たっての 苦悩 ( くるしみ ) 。
酒が 上 ( のぼ ) って、 醒 ( さ ) めずにいたりゃ本望だんべい、 俺 ( わし ) ら手が利かねえだに、もうちっとだ辛抱せろ、とぐらぐらと揺り出しますと、死ぬる、死ぬる、助け船引と火を吹きそうに 喚 ( わめ ) いた、とのう。
この中ではござりませぬ、」
と姥は 葭簀 ( よしず ) の外を見て、
「 廂 ( ひさし ) の蔭じゃったげにござります。浪が届きませぬばかり。低い三日月様を、 漆 ( うるし ) 見たような高い 髷 ( まげ ) からはずさっせえまして、 真白 ( まっしろ ) なのを顔に当てて、 団扇 ( うちわ ) が 衣服 ( きもの ) を掛けたげな、影の涼しい、姿の長い、 裾 ( すそ ) の薄 蒼 ( あお ) い、 悚然 ( ぞっ ) とするほど美しらしいお人が一方。
すらすら道端へ出さっせての、
(…………)
爺どのを呼留めて、これは罪人か――と問わしつけえよ。
食物 ( くいもの ) も 代物 ( しろもの ) も、新しい買物じゃ。縁起でもない事の。罪人を上積みにしてどうしべい、これこれでござる。と云うと、可哀相に苦しかろう、と団扇を取って、薄い羽のように、一文字に、横に口へ 啣 ( くわ ) えさしった。
その時は、爺どのの方へ 背 ( せなか ) を向けて、顔をこう 斜 ( はす ) っかいに、」
と法師から 打背 ( うちそむ ) く、と 俤 ( おもかげ ) のその薄月の、 婦人 ( おんな ) の風情を 思遣 ( おもいや ) ればか、 葦簀 ( よしず ) をはずれた日のかげりに、姥の 頸 ( うなじ ) が白かった。
荷物の方へ、するすると膝を寄せて、
「そこで?」
「はい、両手を下げて、白いその両方の 掌 ( てのひら ) を合わせて、がっくりとなった嘉吉の首を、四五本目の 輻 ( やぼね ) の 辺 ( あたり ) で、上へ 支 ( ささ ) げて持たっせえた。おもみが 掛 ( かか ) ったか、姿を絞って、肩が 細 ( ほっそ ) りしましたげなよ。」
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