草迷宮 泉鏡花 (Kusameikyu) | ||
十四
「占者が 卦 ( け ) を立てて、こりゃ 死霊 ( しりょう ) の 祟 ( たたり ) がある。この鬼に負けてはならぬぞ。この方から 逆寄 ( さかよ ) せして、別宅のその 産屋 ( うぶや ) へ、 守刀 ( まもりがたな ) を 真先 ( まっさき ) に露払いで乗込めさ、と 古袴 ( ふるばかま ) の 股立 ( ももだ ) ちを取って、 突立上 ( つッたちあが ) りますのに 勢 ( いきおい ) づいて、お産婦を 褥 ( しとね ) のまま、四隅と両方、六人の手で 密 ( そっ ) と 舁 ( か ) いて、釣台へ。
お先立ちがその易者殿、 御幣 ( ごへい ) を、ト襟へさしたものでござります。 筮竹 ( ぜいちく ) の長袋を 前 ( まえ ) 半じゃ、小刀のように挟んで、 馬乗提灯 ( うまのりぢょうちん ) の古びたのに算木を 顕 ( あらわ ) しましたので、黒雲の 蔽 ( おっ ) かぶさった、蒸暑い 畦 ( あぜ ) を 照 ( てら ) し、大手を 掉 ( ふ ) って参ります。
嫁入道具に附いて来た、 藍貝柄 ( あおがいえ ) の 長刀 ( なぎなた ) を、 柄払 ( つかばら ) いして、仁右衛門親仁が担ぎました。 真中 ( まんなか ) へ、お産婦の釣台を。そのわきへ、喜太郎様が、 帽子 ( シャッポ ) かぶりで、 蒼 ( あお ) くなって附添った、 背後 ( うしろ ) へ持明院の坊様が 緋 ( ひ ) の衣じゃ。あとから下男下女どもがぞろぞろと 従 ( つ ) きました。
取揚姿 ( とりあげばあ ) さんは 前 ( さき ) へ早や駆抜けて、黒門のお部屋へ産所の用意。途中、何とも 希有 ( けう ) な通りものでござりまして、あの蛍がまたむらむらと、蠅がなぶるように御病人の寝姿に 集 ( たか ) りますと、おなじ煩うても、美しい人の心かして、夢中で、こう 小児 ( こども ) のように、手で取っちゃ見さしっけ。
上へ手を上げさっしゃるのも、御容体を聞くにつけ、空をつかんで 悶 ( もだ ) えさっしゃるようで、目も当てられぬ。
それでも祟りに負けるなと、言うて、一生懸命、 仰向 ( あおむ ) かしった枕をこぼれて、さまで 瘠 ( や ) せも見えぬ白い頬へかかる髪の先を、しっかり白歯で 噛 ( か ) ましったが、お 馴染 ( なじみ ) じゃ、 私 ( わし ) が 藪 ( やぶ ) の下で 待 ( まち ) つけて、 御新造様 ( ごしんぞさま ) しっかりなさりまし、と釣台に 縋 ( すが ) ったれば、アイと、細い声で云うて 莞爾 ( にっこり ) と笑わしった。橋を渡って向うへ通る、 暗 ( やみ ) の晩の、 榛 ( はん ) の木の下あたり、蛍の数の宙へいかいことちらちらして、 常夏 ( とこなつ ) の花の 俤 ( おもかげ ) 立 ( だ ) つのが、 貴方 ( あなた ) の顔のあたりじゃ、と目を 瞑 ( つぶ ) って、おめでたを祈りましたに……」
声も寂しゅう、
「お寺の鐘が聞えました。」
「 南無阿弥陀仏 ( なむあみだぶつ ) 、」
「お可哀相に、 初産 ( ういざん ) で、その晩、のう。
厭 ( いや ) な事でござります。黒門へ着かしって、産所へ据えよう、としますとの、それ、出養生の嬢様の、お産の床と 同一 ( おんなじ ) じゃ。(ああ、青い 顱巻 ( はちまき ) をした方が、寝てでござんす、ちっと 傍 ( わき ) へ)と……まあ、難産の嫁御がそう言わしっけ。
其奴 ( そいつ ) に、負けるな、 押潰 ( おッつぶ ) せ、と構わず 褥 ( しとね ) を据えましたが、夜露を受けたが悪かったか、もうお医者でも間に合わず。
(あなたも。…… 口惜 ( くやし ) い、)と 恍惚 ( うっとり ) して、枕にひしと 喰 ( くい ) つかしって、うむと云うが最期で、の、身二ツになりはならしったが、産声も聞えず、両方ともそれなりけり。
余りの事に、 取逆上 ( とりのぼ ) せさしったものと見えまして、喜太郎様はその明方、裏の井戸へ身を投げてしまわしった。
井戸 替 ( がえ ) もしたなれど、不気味じゃで、誰も、はい、その水を飲みたがりませぬ処から、 井桁 ( いげた ) も早や、 青芒 ( あおすすき ) にかくれましたよ。
七日に一度、十日に一度、仁右衛門親仁や、 私 ( わし ) がとこの宰八―― 少 ( わか ) いものは 初 ( はじめ ) から恐ろしがって 寄 ( よっ ) つきませぬで――年役に出かけては、雨戸を明けたり、引窓を繰ったり、日も入れ、風も通したなれど、この間のその、のう、嘉吉が気が違いました一件の時から、いい年をしたものまで、黒門を向うの奥へ、 木下闇 ( このしたやみ ) を 覗 ( のぞ ) きますと、足が 縮 ( すく ) んで、一寸も前へ出はいたしませぬ。
簪 ( かんざし ) の蒼い光った 珠 ( たま ) も、大方蛍であろう、などと、ひそひそ 風説 ( うわさ ) をします処へ、
芋※ ( ずいき ) の葉に目口のある、小さいのがふらふら 歩行 ( ある ) いて、そのお前様、誰方が見えても……)
でござりましょう。 人足 ( ひとあし ) が絶えるとなれば、草が生えるばっかりじゃ。ハテ黒門の別宅は是非に及ばぬ。秋谷邸の本家だけは、人足が絶やしとうないものを、どうした時節か知らぬけれど、鶴谷の寿命が来たのか、と喜十郎様は、かさねがさねおつむりが 真白 ( まっしろ ) で。おふくろ様も 好 ( い ) いお方、おいとしい事でござります。
おお、おお、つい長話になりまして、そちこち刻限、ああ、 可厭 ( いや ) な
の葉が、唄うて 歩行 ( ある ) く時分になりました。」と姥は 四辺 ( あたり ) を
※ ( みまわ ) した。浪の色が蒼くなった。寂然 ( しん ) として、 果 ( はて ) は目を 瞑 ( つむ ) って聞入った旅僧は、夢ならぬ顔を上げて、 葭簀 ( よしず ) から街道の 前後 ( あとさき ) を 視 ( なが ) めたが、日脚を仰ぐまでもない。
「身に染む話に 聞惚 ( ききと ) れて、人通りがもう影法師じゃ。世の中には 種々 ( いろいろ ) な事がある。お婆さん、お 庇 ( かげ ) で 沢山 ( たんと ) 学問をした、 難有 ( ありがと ) う、どれ……」
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