University of Virginia Library

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 修業中の小次郎法師が、諸国一見の 途次 みちすがら 、相州三崎まわりをして、 秋谷 あきや の海岸を通った時の事である。

  くだん 大崩壊 おおくずれ の海に突出でた、獅子王の腹を、太平洋の方から一町ばかり 前途 ゆくて に見渡す、街道 ばた の――直ぐ崖の下へ白浪が打寄せる――江の島と富士とを、 すだれ に透かして描いたような、ちょっとした 葭簀張 よしずばり の茶店に休むと、 うば が口の長い 鉄葉 ブリキ 湯沸 ゆわかし から、渋茶を いで、 人皇 にんのう 何代の 御時 おんとき かの箱根細工の木地盆に、 装溢 もりこぼ れるばかりなのを差出した。

  床几 しょうぎ 在処 ありか も狭いから、今注いだので、 引傾 ひっかたむ いた、湯沸の口を吹出す湯気は、むらむらと、法師の胸に なび いたが、それさえ さっ と涼しい風で、冷い霧のかかるような、 法衣 ころも の袖は葭簀を擦って、外の小松へ飜る。

  さわやか な心持に、道中の里程を書いた、名古屋扇も開くに及ばず、畳んだなり、肩をはずした振分けの小さな荷物の、白木綿の つな ぎめを、 押遣 おしや って、

「千両、」とがぶりと呑み、

「ああ、 うま い、これは結構。」と 莞爾 にっこり して、

「おいしいついでに、何と、それも うま そうだね、二ツ三ツ取って下さい。」

「はいはい、この団子でござりますか。これは 貴方 あなた 、田舎出来で、 沢山 たんと 甘くはござりませぬが、そのかわり、皮も 餡子 あんこ も、小米と小豆の 一本でござります。」

 と小さな 丸髷 まげ を、ほくほくもの、 折敷 おしき の上へ小綺麗に取ってくれる。

  扇子 おうぎ だけ床几に置いて、渋茶茶碗を持ったまま、一ツ つま もうとした時であった。

「ヒイ、ヒイヒイ!」と 唐突 だしぬけ に奇声を放った、 濁声 だみごえ ひぐらし 一匹。

 法師が入った口とは 対向 さしむか い、大崩壊の方の床几のはずれに、竹柱に留まって 前刻 さっき から――胸をはだけた、手織 じま の汚れた 単衣 ひとえ に、 ゆる んだ帯、煮染めたような 手拭 てぬぐい をわがねた首から、 うなじ へかけて、耳を おお うまで髪の伸びた、色の黒い、 巌乗 がんじょう 造りの、身の丈抜群なる 和郎 わろ 一人。目の光の 晃々 きらきら えたに似ず、あんぐりと口を開けて、厚い下唇を垂れたのが、別に見るものもない茶店の世帯を、きょろきょろと

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みまわ していたのがあって――お百姓に、船頭殿は稼ぎ時、土方人足も働き盛り、日脚の八ツさがりをその てい は、いずれ 界隈 かいわい 怠惰 なまけ ものと見たばかり。小次郎法師は、別に心にも留めなかったが、不意の笑声に一驚を きっ して、和郎の顔と、折敷の団子を見 くら べた。

串戯 じょうだん ではない、お ばあ さん、お前は見懸けに寄らぬ 剽軽 ひょうきん ものだね。」

「何でござりますえ。」

「いいえさ、この団子は、こりゃ泥か 埴土 ねばつち こしら えたのじゃないのかい。」

「滅相なことをおっしゃりまし。」

 と 年寄 としより は真顔になり、見上げ じわ 沢山 たんと 寄せて、

「何を貴方、勿体もない。 わし もはい 法然様 ほうねんさま 拝みますものでござります。 吝嗇坊 しわんぼう の柿の種が、小判小粒になればと云うて、御出家に土の団子を差上げまして済むものでござりますかよ。」

  真正直 まっしょうじき に言訳されて、小次郎法師はちと気の毒。

「何々、そう真に受けられては困ります。この涼しさに元気づいて、半分は 冗戯 じょうだん だが、旅をすれば色々の事がある。 駿州 すんしゅう の阿部川 もち は、そっくり しょう のものに木で こしら えたのを、盆にのせて、看板に出してあると云います。今これを食べようとするのを見てその人が、」

 と 其方 そなた を見た、和郎はきょとんと 仰向 あおむ いて、烏も らぬに何じゃやら、 しきり に空を仰いでござる。

唐突 だしぬけ に笑うから、ははあ、この団子も看板を取違えたのかと思ったんだよ。」

「ええ、ええ、いいえ、お前様、」

 とこざっぱりした前かけの ひざ たた き、近寄って声を ひそ め、

「これは、もし気ちがいでござりますよ。はい、」

 と云って、独りで うば うなず いた。問わせたまわば、その 仔細 しさい の儀は承知の趣。